孫悟空にはなれない

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元旦の日の出来事

元旦、お昼まで寝ている恋人を叩き起こし、おそらくどこも休みであろう町にご飯を食べに出かけた。

ある交差点をわたっていると、私の目に珍しい光景が飛び込んできた。所謂ホームレスと呼ばれる人が、こちらを向いて下半身を露わにしているのである。私は驚いたが信じられない光景なので思わず二度見して確認したが、やはり確実に出ていた。見てはいけなかったと思い「あ、やばい」と言って隣を歩く恋人にも伝えると「あ、ああ」と言っていた。

とにかくその場を立ち去りたくて早歩きで歩いた。出来ればその出来事もその画も忘れてしまいたかった。でもその場面だけ切れ取られたように強烈で頭から離れない。しばらく無言で歩いた後、恋人が口を開き「でもまああの人を責める事はできない。社会的に悲惨な境遇にあったらちんちんを出すことに抵抗がなくなるかもしれないし、精神を「病んで」いる人かもしれない。もしあの人が社会的地位があるおじさんとかなら僕も怒るけれど」と言った。初めはまあそうかなとも思ったが、すでに気分が悪くなっていた私は「でも食欲は減退した…男だからできる事だよね」と言った。

 


知らない人のちんちんをいきなり見せられた後に、いきなりステーキが食べれるほど私はタフではなかった。

 


恋人からは帰ることも提案されたが、せっかく出て来たのに最悪な気分で帰りたくなかった私は帰らないと答えた。

その後、店を探したが行きたい店が元旦から開いている訳もなく、迷ってしまい迷う私に恋人もイラついてきてもうこの事について話すのはよそうと言って家に帰ることとなった。

 


家に帰ってもずっと悶々としていた。次の日から実家に帰ったが、実家にいる間もその事だけを考えていた。

 


何が引っかかっていたのかと言うと、恋人が私の心配よりも先にちんちんを出していた人を擁護する発言をしたからである。今までちんこ野郎ではないからと信頼してきた恋人がちんこの擁護に回ったことが非常にもやもやした。この人は自分の子供が同じ目にあった時にもちんこの味方をするのか?相手が日雇い労働者とか社会的に抑圧を受けている人ならどんな仕業でも擁護するのか?もしその場合、そんな奴の子供は産めないからこれからはコンドームを絶対付けるようにしようと思った。

ただ、後にこのことについて恋人に聞いたところ、私がそこまでショックを受けていたとは感じなかったとのことだったので、私のウルトラ妄想早とちりである。その場でうわあああと叫んだりとか倒れ込んだら伝わったかもしれないけど。

確かに私は直後はどうしていいかわからずとにかく気丈に振る舞おうと思った。ご飯を食べて日常に戻ろうと思った。でも、本当は自分が思う以上にショックを受けていた。高校生の時に私個人を狙った露出狂に会ったことがあるがその時の恐怖もフラッシュバックした。

よくよく考えると、普通に振舞っていたのだから恋人を責める事は出来ない。また恋人が「ちんちんを出しても責められない」と言ったのは、ちんちん露出の禁止は社会的に作り出されたもので、かつその人に「見せつける」意志が確認できなかったことやその人の悲惨の可能性を前に軽々しく批判は出来ないという理由からだったようだ。その恋人のスタンスは私もなんとなくわかっていたのでそれはいい。

だから今回はもし出来れば私自身が声をかけるべきだったのだとは思う。「隠してください」とかなんとか。でもその時は怖くてその場をすぐにでも立ち去りたくて出来なかった。もし追いかけられたらどうしよう?なんか言われたらどうしよう?女がちんちんを出してる人にやめろと言うのは簡単な事?逆上されたらどうする?このことも恋人に言ったらそういう場合は僕に言ってくれと言われたので今後はそうしようと思う。

 


また今回すごく思ったのは、ちんちんは凶器だという事。私にとって知らない人にいきなりちんちんを見せられるという事は、ナイフや銃をちらつかせる事と同じくらい怖い。恋人はちんちんは身体の一部だし別に見せても問題ではないと言ってたけど、それはどうかなと思う。これについてはまたよく考えたい。

 


今回は私個人を狙っていたわけでもなくどちらかと言えば不特定多数向けと言うか、ただの日光浴だったのかもしれないと今は思うが、この事は恐怖だったし鮮明な記憶を忘れたくないから残す事にした。

悲しい悲しいお知らせ

平成に生まれた身として、平成最後の夏を締めくくる為にとはじめたヴァジャイナ脱毛ですが(正直平成最後とかどうでもいい)、既に4回ほど照射(光脱毛)を受けその度にツルツルピカピカになりました。

 

初めはドキドキした照射も4回もやると、店員2人がかりでお尻を開かれるのも、ヴァジャイナをアイスノンでギンギンに冷やされるのも慣れました。毛質の太いところや骨の近いところは光がバチっと響くので結構痛いけど(スタンガンでやられる感じ、スタンガン当てられたことないけど)、「だ、大丈夫です」と強がるのもお手の物です。銭湯でさり気なく股間を見られないように振る舞う技も習得しました。

 

ただ、最近気づいてしまったんです。あることに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんか、もうめんどくさくね?

 

 

 

 

 

そう、はやくも飽きてしまいました。

 

ヴァジャイナ脱毛前にはヴァジャイナの処理をしなきゃいけないんですがこれが面倒くさい。とにかく平面じゃないから剃りづらいし。クリトリス削り落としそうになるし(ならない)。(ちなみに私は家にある図書新聞を広げてその上で鏡の前に座るスタイル)

あと、脱毛サロンにこまめに通うのが面倒になってきた。

 

たしかにヴァジャイナ脱毛はじめてから良いことはたくさんありました。

 

・生理中が快適

・なんかかわいい

・シャワーもトイレも楽

・なんかかわいい

・家に落ちているチリ毛に対して堂々としていられる

 

 

だから、たまにツルツルにするのもいいと思うけどまあ永久に無くさなくてもワックスとかでたまにやればいいかなと。

 

 

ということで早速今度解約に行こうと思います。そこで必ず理由聞かれる&引き止められると思うから今から考えてるけど、基本「自然でいたくなった」で押し通すつもり☆

 

まあ大して悲しくもないお知らせでした。

 

解約したらお金戻ってくるから何しようかな🤑

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非合法闘争としての大西巨人『神聖喜劇』論

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 とつぜんですが、以前『群像』の新人賞に山本さつき名義で応募し1次予選を通過した「〈問い〉と〈叫び〉ーー大西巨人神聖喜劇』論」を公開します。手直しすべき箇所やいま読むとこれはどうなのという部分もあるけれど、あえて投稿したものと同じ原稿を載せています。とにかく、ぼくはこれから数年間の研鑽を積みこれよりはるかに良いものを書かなければなりません。以下はそのためのひとつの区切りです。ではさっそく。

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大西巨人神聖喜劇』は、作者の初期の代表作で、アジア・太平洋戦争下の陸軍内務班を舞台に、超人的な記憶力をもつ二等兵東堂太郎が軍隊に適用されている法律を駆使しながら合法闘争を展開し不条理に抗う長編小説である」云々というのがこの小説の一般的な説明である。こうした要約はおおかた的を射ており、『神聖喜劇』批評にしばしばみられるものである。しかし『神聖喜劇』の放つ魅力は他にある。以下に続く文章はそうした残余の側に立つ。


 食卓末席組と「直言」 

 『神聖喜劇』で描かれる軍隊とはいかなるものであろうか。東堂たちは、一九四二年一月一一日に入隊し、同年四月九日に教育終了が予定されていた補充兵役兵であるが、彼らはいかにして軍隊の教育を受け「聖戦遂行」のための兵士へと成型されていったのか。 
 軍隊は新兵たちに対して、通俗的にも本質的にも条理に合わない言語使用を強制していく。
「大根の菜軍事機密事件」の収拾を図る堀江隊長は東堂に『砲兵操典』『作戦要務令』を暗唱させ、文中の熟語「弛張」の読みに難癖をつける。東堂が「シチョウ」と正しく読んだのに対し「チチョウ」が正式な発音であると言うのだ。東堂は地方〔入隊前に属していた社会〕から持参した辞書を見せながらこれに反論する。しかし堀江は、「軍隊には軍隊の読み方がある」と説教し、かえって東堂に字の講釈を垂れる。ここで堀江は地方―軍隊では言葉の用法が異なり、一見地方では誤りに思える言語使用もここ軍隊では通用する、つまり、これから軍隊内で使用される知識とこれまで生きてきた地方の知識とは基本的には関わりがないことを宣言するのである。もちろんこれには東堂も憤慨し『軍隊内務書』を引用して、字の読み方に地方と軍隊で差異はないのだと反論しているが、こうした意見も完全には堀江に容れられることはない。東堂は「上官上級者が浅学愚昧のために字句を読み違えて押し通すと、下級者はそれを軍隊独自の正当な読み方として受け入れてきた」ためにこうした不条理な言葉の強制がまかり通ってしまうのだと考察しているが、大前田軍曹のいうような絶対服従の精神が公式に押し付けられていくとしたら、地方の論理は軍隊においては通用せず、新兵たちは納得しかねる物事をも甘受しなければならないだろう。
 こうした記述から想起されるのは『神聖喜劇』の作者による「俗情との結託」批判である。大西巨人は「俗情との結託――『三木清に於ける人間の研究』と『真空地帯』」のなかで、軍隊とは野間宏の『真空地帯』で描かれるような「特殊ノ境涯」ではない、すなわち地方と軍隊は切断された二領域ではない、そのようにみなす思考は軍国支配者の側のものであり極力斥けるべきものなのだ、としている(1)。
 しかしたとえ地方―軍隊の連続性が事実であり、作中にそうした思考を裏付ける記述を見出したとしても、それを先に述べた言葉の強制の問題について適用するのは困難である。また、法を根拠に軍隊特有の読み方を撤回させたとしても、それは軍隊の法規を規範性の根拠として言葉を正す闘争であり、法で公式に定められた軍隊内の言語使用に関して東堂はそれを拒否することはできない。仮に「あります」言葉に法的根拠が存在した場合、新兵たちに強制されたそれを撤回させることはできないのである。
 要するに、軍による合法的な新兵たちの言語への介入自体を東堂は止めることができないのだ。事実、作中でそうした言葉の強制が批判の俎上に乗ることはないし、上官への返事や新砲廠の出入りの際には大声で発言すべしと教えられた場合にも東堂はそれに順応してしまう。それも生来声量の小さな新兵が声が小さいことを理由になぶられているのを横目に大声を発するのだ。生まれついた声量の不足をも詰り、それを改めるよう新兵たちの言語に介入してくるのが軍隊である。ことは言語の内容にかかわるだけではない。もはやその発し方、声量までをも成型しにかかるのである。
 地方とは異なる言語を教え込まれた新兵は上官からの呼びかけに際して「沈黙無言が許されない」のであり新兵たちは軍隊が定める文法によって、時には地方では通用しない語彙をも用いながら返答しなければならないのである。
「何かを言わせまいとするのではなく、何かを強制的に言わせるもの」としてのファシズム(2)は、軍隊内部における言語の強制についてこそ言われねばならない。
 先に『神聖喜劇』は超人的な記憶力を持つ東堂が軍紀に沿って反抗する小説であるという要約を掲げたが、反抗はなにも東堂によってのみなされるわけではない。東堂による闘争をある一面においては凌ぐような別の二等兵による反骨精神も存在するのだ。彼らは法によらない反抗の萌芽を垣間見せてくれる。「食卓末席組」は軍隊を悪賢く泳いでいこうとする「厳原閥」とは対照的に概して反骨的な精神を持った純朴な性格の新兵たちである。彼らは厳原閥のように上官に気に入られようと媚びを売ったり、学歴を鼻にかけたりするような俗物ではないが、東堂とは違って軍隊内の法律や上官からの教育内容をすぐには覚えることができない。つまり、かれらには東堂的な戦い方を真似することはできないのだ。
 二月一一日の日夕点呼後、その日の屯営外への引率外出で外したままにしていた剣留を正規の位置に復していなかった廉で「タイコエンシュウ」なる罰が行われることになった。これは剣留を戻していなかった新兵たちを二列に並べて二人一組で交互に殴り合わせるという残酷な罰である。この「タイコエンシュウ」に参画したのは吉原や鉢田ら七名で、ペアにあぶれた鉢田は神山と組むことになってしまう。そして新兵同士による平手打ちの応酬が開始されんとするその瞬間、食卓末席組のひとりである鉢田は驚愕の質問を投げるのだ。

  鉢田も、タイコエンシュウちゅうもんを…… 
  その、……してよかとでありますか。

 すなわち鉢田はここで、〈自分も「タイコエンシュウ」に参加する以上面前の相手を殴らなければならないがその相手とは上官神山である。……致し方ない。……神山を殴ってもいいか?〉、と聞いているのである。新兵のくせして上官を殴っていいわけないだろうと神山から当然すぎる叱呵が浴びせられたこの場面は、食卓末席組の反抗の性格をよく示している。つまりそれは、東堂やそのほかの新兵たちの常識では禁忌とされる言行を平気で実行し、上官や上級者たちをおののかせる天性の抵抗なのだ。これはなにも鉢田だけが得手としているのではない。次の場面は食卓末席組におけるこうした反抗をまざまざとみせつけてくれる。
 大前田軍曹は二月三日、野砲訓練の場で自身の戦地での実見から導き出した戦争観――「うんと余計殺した方の国が勝つとじゃ。それが戦争よ。(中略)殺して殺し上げて、取って取り上ぐるとが戦争じゃ」――を披歴する。戦地下番大前田の如上戦争観を耳にした村上少尉はこれに容喙する。村上は大日本帝国陸軍の「聖戦」イデオロギーを体現した理想主義的人物であり、大前田の戦争観に介入せずにはいられないのである。「まず第一に、わが日本の戦争は『殺して分捕るが目的』ではない」と語る村上は「戦陣訓」には大前田のいうような土地収奪や現地住民の殺害を戒めており、「開戦の詔勅」にも「今ヤ不幸ニシテ米英両国ト釁端ヲ開クニ至ル。洵ニ已ムヲ得ザルモノアリ。豈ニ朕ガ志ナラムヤ」とあるからには「殺して分捕る」ことは戦争の本質ではないと宣う。
 村上は大前田の「教官殿も、戦地に出られましたら、少しゃまた別のお考えになられるとかもしれまっせん」という異見に対して、戦場の村上が現在とは違う考えになっているか否かは戦地で再会した際に示そうと約し、食卓末席組である橋本と鉢田に話を向ける。しかし大前田の長広舌につづき、村上が熱弁をふるったにもかかわらず両名はぽかんとして応えようとしないのである。東堂が「彼らの耳は、村上少尉の言説をほとんど聞き留めずに素通らせていたのであろう、またどちらにしろ彼らは、村上のその大半をろくには理解しなかったのであろう」と見ているように、鉢田・橋本は「聖戦遂行」の理想、「皇国」の戦争目的を説く訓話をはなから理解していなかったのである。
 こうした反応は東堂にはけっして真似できない。真似しようと思ってもできない。上官の呼びかけを意図的に無視するわけでもないし、法に則り訓話の隙を突くのでもない。彼らはただ応えられないのである。
 村上は当初橋本の地方での職業から大前田との出身階層上の相同性を指摘し、「軍人勅諭」にいう「上下一致」を説くことで自身の訓話を円満に完結させようとしていた。しかし、これまで述べてきたように橋本によってその目論見は中断させられてしまうのだ。同じく、村上少尉が「聖戦」の目的を開陳する場面が淀みなく進行する一方で、村上が橋本に話を向けた途端、それまでのペースが乱され、その場が橋本の独擅場と化してしまうこと、これこそが橋本の武器である。
 こうした軍国主義的演説の切断は橋本にのみ可能な行為ではない。それは東堂・生源寺以外の食卓末席組ならば難なくやってのけてしまう。事実その後、村上訓話は橋本以外の食卓末席組の面々によっても攪乱されてしまうのだ。
 白水二等兵による「教官殿。うぅん、元へ。班長殿。白水二等兵は小便がしとうてたまらんとであります」という訴えとそれに続く室町二等兵の「班長殿。室町二等兵も、おなじであります。マリカブロウごたぁります〔失禁しそうであります〕」という同調が、その場の沈黙を破る。橋本・鉢田が村上の訓話を熱心には聞いていなかったことは述べたが、白水・室町もまた訓話どころではなかったのである。軍隊では上官の訓話等の際には「不動ノ姿勢」をとるよう教育されるが「不動ノ姿勢」は彼らの尿意と天秤にかければすぐさま斥けられるものなのだ。軍人の基本である「不動ノ姿勢」は白水・室町両二等兵にとっては尿意より優先されるべきものでは全くない。村上訓話の理想主義的性格のもつ権威はここに至って一気に剥ぎ取られ価値を下落させていくのである。
 二月三日昼、大前田の戦地実見談に始まり村上の当代理想主義的性格の訓話へと至る場面は白水・室町の申し出の直後に打ち切られることになるのだが、その打ち切られ方がまた秀逸なのだ。村上が哀れにも思えてくる一連の場面を締めくくるのは以下のような衝撃的な回答であった。村上は皇国の戦争目的とはいかなるものかについて新兵に問う。上等兵神山から回答を急かされた直後鉢田は「上等兵殿。あのぉ、……『コウコク』ちゅうとは、なんごとでありますか」と言ってのけるのだ――。処置なしである。「皇国」は、地方での学校教育は言うまでもなく、軍隊での教育においては最重要単語の一つであろうし、地方軍隊問わずたびたび耳にしてきた言葉ではないのか。それを鉢田は入隊後約二十日の時点で知らないと答えるのである。付け加えて言えば、この箇所だけではなく村上の「畏くも」――この言葉の後には天皇を発話主体とした文章の引用が続き、兵たちはみな「不動ノ姿勢」をとることになっている――で「不動ノ姿勢」をとらないのも同じく鉢田と橋本である。彼らは「聖戦遂行」下の「皇国」に生きながら「皇国」を生きてはいないのだ。
 東堂はここで「途方に暮れて感動してい」るが、それは鉢田の度を越した無知蒙昧さにではない。むしろ、「皇国」を理解していない日本人が「聖戦遂行」の道を驀進していた日本において実存すること、その革命性にこそ心を動かされているのである。こうした発話に感動している東堂に鉢田のような戦い方は望めない。鉢田の発言はまさしく軍隊内教育の無効を宣言しており、新兵たちの言葉を教育してきた上官たちの度肝を抜くものであった。その後鉢田は「コウコク」が日本を指すことを教えられ、再度村上の質問――皇国の戦争目的は何か――に対して「殺して分捕ることであります」と応える。そして村上に追い打ちをかけるかのように、続いて指名された橋本も「日本の戦争は、殺して分捕るが目的であります」と言ってしまうのだ。彼らは村上訓話の無化ならびに「聖戦」の本質を上官及び新兵たちのまえで宣言して見せたのである。
 軍国支配者が新兵たちの言語を捕獲し整流すると同時に彼らを「聖戦遂行」にみあった身体へと成型していくことはこれまでに述べてきたが、食卓末席組の面々を前にそのような教育は無力である。神山は「個性の存在は、軍隊では不必要だし、不可能だ」と東堂たちに訓示しているが、ここで発現しているのは軍隊によって切りつづめられ平板化されることのない食卓末席組の個性そのものである。彼らは入隊一カ月を経た現在においても個性を失うことはないのだが、如上神山発言が真実であるならば、食卓末席組は「軍人精神の入った一人前の兵隊」になることはできない。かれらの言論は「直言」であって(3)、打算や保身によってではなく、自分の言いたいことを遠慮なく言うこの「直言」こそが食卓末席組の個性なのである。
「大根の菜軍事機密事件」での堀江部隊長の演説で「お前たちは、上官上級者、班長、班附の言葉の上っ面だけを聞くのではなくて、その真意、その精神を聞き取らねばいかん」という無体な教育がなされているが、食卓末席組の多くはそうした命令を実行しない。彼らは「真意」や「精神」を理解する能力をもっていない。それどころか上っ面すら理解できないかもしれないのだ。しかし、これを笑うべきではないし嘲りを込めて言うのでもない。無知はある条件の下では武器であり得、知らぬ間に――良心の呵責を伴うことなく――法を犯すことも出来れば、先に述べたように訓示を無化し教育を拒否することが出来るのだから。
 そして何度も言うようにこうした反抗は東堂が真似したくてもできない種類のものであって、東堂は鉢田や橋本の言動に感動し、教えられていくのだ彼ら食卓末席組のそうした言動を要約すれば、軍隊の教育を無化したり、言葉の強制を受動的に斥ける闘い、言うなれば、軍隊の上からの言語的・身体的な強制をはぐらかす試みである。彼らの言動には東堂を凌駕する価値がある。
 もちろん食卓末席組に東堂を凌ぐ反抗が看取されたとしてもそうした無意識的反抗には固有の欠点が存在することもまた事実だろう。彼らが無意識的に遂行しているのは、あくまで軍隊内における肩透かし、暖簾に腕押し的闘争であって、それによって場が白け、新兵にふりかかる危機が回避あるいは延期させることに成功したとしても、状況の根本的な好転は望めないのである。
 そのような状況の根本的な好転を企図する闘争は『神聖喜劇』の多くの場面を通じて東堂による合法闘争という形で表れていく。そうした東堂の闘いを換言するならば、それは軍隊に適用されている法規・軍律を抑圧的な上官に向けて逆用する〈問い〉によって進行していく。


 〈問い〉とその限界

  世界は真剣に生きるに値しない(本来一切は無
  意味であり空虚であり壊滅するべきであり、人
  は何を為してもよく何を為さなくてもよい)

 こうした思想が入隊以前から東堂の内面に蟠踞していた。しかし、東堂の合法闘争はその「我流虚無主義」にもかかわらず上官から強制される不条理への屈従を諾うことができないがために開始される。反抗は『神聖喜劇』全篇を通して多くの場合、軍隊内部を貫流する法や軍紀をもとに上官の誤りを〈問う〉ことによってなされていくのだが、『神聖喜劇』の序盤においてそうした〈問い〉へと東堂を駆り立てることになるのは有名な「知りません禁止・忘れました強制」事件である。
 鶏知屯営入隊から九日後の一月一九日、東堂ほか四名が朝の呼集に遅刻するところから東堂の合法闘争は解纜する(4)。洗濯から帰った東堂は、新砲廠の前に東堂らを除く三個班全員が整列しているのを目にした。彼らは朝の呼集のために二列横隊をなしていたのである。しかし、東堂はこの時間に呼集があるとは聞かされておらず、自らに過誤がないことを確信しているため、あわてることなくその列に向かって歩いてゆく。第二内務班長の仁多軍曹は「朝の呼集時間を、お前は忘れたのか」と問い、東堂は「知りません」と応える。仁多は東堂をあざけりながら「わが国の軍隊に『知りません』があらせられるか。『忘れました』だよ。忘れたんだろうが?呼集を」と嘯く。
 これが『神聖喜劇』の中で最も有名なエピソードのひとつ、「知りません禁止・忘れました強制」事件の発端である。他の遅刻者が口々に「忘れました」と嘘をつきその場をやりすごそうとするのを横目に、東堂は「忘れました」の強制を肯んじない。そもそも東堂たちが朝の呼集に遅れた原因は週番上等兵の怠慢による呼集時間の周知不徹底にあり、決して東堂らの責任が問われるべき局面ではなかったのだ。その場は白石少尉の取り成しによって収束するものの、当の「知りません禁止・忘れました強制」に関する思索と上官上級者への〈問い〉は、「忘れました」というその場しのぎの嘘を撤回し「知りません」へと訂正した冬木二等兵への強い印象とともに、持ち越されることとなった。
 東堂による不条理への反抗は、不条理の淵源たる軍隊がある意味において論理主義的であることを前提として行われ得る。軍隊は「ある意味では理窟のすこぶる必要な、問答のたいそう有用な、さらに一挙一動一挙手一頭足にも理論的典拠ないし成文規範なかるべからざる論理主義的・法治主義的世界」であり、東堂は当面の反抗・闘争の活路を「法治主義的・論理主義的傾向」の逆用に見出していくのである。井口時男は「法治主義的・論理主義的傾向」の逆用について「命令を規制する規範としての「国法」または「条文」を顕在化させることは、上級者の恣意を仮装して現れる命令の根拠を可視的にし、法を参照可能なものにする」(5)として、上官上級者による恣意的な法解釈、あるいは上級者=法であるかのような錯覚を糾す効果があるとしている。東堂の種々の質問に答えた時点で上官上級者もまた東堂による闘争に参加してしまうのだ。
 問題は〈問い〉である。先に挙げた「知りません禁止・忘れました強制」事件で我流虚無主義解体の萌しをみせた東堂は、『軍隊内務書』の「本書ニ規定スルモノノ外特ニ明文アルモノヲ除キ妄ニ規定ヲ設クルヲ許サズ」という記述を頼りに上官の恣意的な法のでっちあげを糾弾していく。当の「知りません禁止・忘れました強制」事件では堀江隊長や片桐伍長に呼び出された際に、または、白石少尉に学科の時間に質問(〈問い〉)をした際に「知りません禁止・忘れました強制」が軍隊内部の公式な法には書き込まれていないこと、つまり、上官たちの恣意的な押し付けの一表現がほかならぬ「知りません禁止・忘れました強制」であることを確認していく。ここには日本の軍隊を底流する「無責任の体系」があるのだが、後述するとして、ここからは東堂がどのようにして〈問い〉を突き付けていったのか見ていくことにしよう。
 東堂は上官の白石に向けて次のように〈問い〉を発する。〈酒保は『軍隊内務書』で定められているとおり、日用品や飲食物の販売がなされる施設ということになっている。しかしわれわれが暮らすこの屯営には開店休業状態の酒保が存在するのみである。アジア・太平洋戦争開戦直後の物資不足状況下とはいえ新聞や図書くらいは備え付けてもらってもいいのではないか、新聞や図書は新兵の教育にとっても有用であろう〉、と〈問う〉のである。白石は東堂の〈問い〉を留保し後刻調査結果をしらせる旨を告げその場を切り上げるが、白石と東堂、どちらの言論に法的に正当性があるかは明らかである。というのも東堂は白石も絶対に服従すべき軍隊の法をもとに〈問い〉を発しており、それに対して白石は東堂を合法的にはやり込めることはできないからである。既にみたように軍隊はある意味で「論理主義的」部分があり、新兵たちの目の前で〈問い〉がなされた以上、法によらずに暴力をもって東堂を斥けることは難しい。ここに〈問い〉の強みがあり、『神聖喜劇』の魅力ここにありと幾人もの評者が言祝ぐのだ。
 ここに生ずる問題点は一旦措くとして、現時点で確認しておきたいのは、東堂が依拠しているのが新兵のみならず上官もひとしくそれを遵守しなければならない法や軍紀であって、軍隊における上級者の下級者に対する絶対優位の下とはいえ、上官でさえ法を無下にすることは許されないという思想なのだという点である。
 しかし、軍隊内部の法に習熟することで行われる東堂による〈問い〉はある限界に突き当たってしまう。しかもその限界は東堂自身の力不足に起因するものでもなければ、東堂の協力者たちの無能力に因るものでもない。それは〈問い〉そのものが本来的に包含せる瑕疵である。
 先述の「知りません禁止・忘れました強制」に関して、東堂は「責任阻却」という概念を用いながら軍隊内部を垂直に貫徹する無責任の構造を次のように思惟する。すこし長いが『神聖喜劇』のなかでも特に重要な思索なので引用する。

  ……あの不文法または慣習法を支えているの
  は、下級者にたいして上級者の責任は必ず常に
  阻却せられていなければならない、という論理
  ではないのか。……もしも上級者が下級者の
  「知りません」を容認するならば、下級者にた
  いする上級者の知らしめなかった責任がそこに
  姿を現すであろう。しかし、「忘れました」
  は、ひとえに下級者の非、下級者の責任であっ
  て、そこには下級者にたいする上級者の責任
  (上級者の非)は出て来ないのである。言い換
  えれば、それは、上級者は下級者の責任をほし
  いままに追求することができる。しかし、下級
  者は上級者の責任を微塵も問うことができな
  い、というような思想であろう。……この(下
  級者にたいする)上級者責任阻却あるいは上級
  者無責任という思想の端的・惰性的な日常生活
  化が、「知りません」禁止、「忘れました」強
  制の慣習ではあるまいか。
  (中略)
  この責任とは、詮ずるところ、上から下にたい
  して追求せられるそれのみを内容とするのであ
  って、上が下にたいして負う(下から上にたい
  して問われる)それを決して意味しないのであ
  ろう。……しかし下級者Zの上級者Yも、その
  また上級者Xにとっては下級者である。Zにた
  いしてYの責任は阻却せられていても、そのY
  はXによってほしいままに責任を追求せられね
  ばならない(このXは、Zの「忘れました」に
  ついても、そのZにしっかり覚え込ませなかっ
  たYの責任を追求するであろう)。そしてXと
  そのまた上級者Wとの関係も、同断なのであ
  る。かくて下級者にたいして上級者の責任が必
  ず常に阻却せられるべきことを根本性格とする
  この長大な角錐状階級系統(Wからさらに上へ
  むかってV、U、T、S、R、Q、P、……)
  の絶頂には、「朕は汝等軍人の大元帥なる
  ぞ。」の唯一者天皇が、見出される。
  (中略)
  最上級者天皇には、下級者だけが存在して上級
  者は全然存在しないから、その責任は、必ず常
  に完全無制限に阻却せられている。この頭首天
  皇は、絶対無責任である。軍事の一切は、この
  絶対無責任者、何者にも責任を負うことがなく
  何者からも責任を追求せられることがない一人
  物に発する。しかも下級者にたいして各級軍人
  のすべてが責任を阻却せられている。

 東堂は「知りません禁止・忘れました強制」の慣習を軍隊における責任阻却体質の発現と読み、その「角錐状階級系統」の頂点に存する「唯一者」にして「絶対無責任者」たる天皇を見出す。これを軍隊内における上級者無責任、責任追及の不可逆性を軍隊内部における下級者への「抑圧の委譲」と読むことも出来るだろうが(6)、それだけではない。より重要なのは、そうした「無責任の体系」が東堂の闘争にむかってひとつの限界、あるいは「恐怖」をつきつけていることである。

 (天皇という)最上法源が実存する以上、この領
  域に行なわれているのは、ブルジョア法治主義
  ですらなく、それ以前またはそれ以下の特種の
  法治主義であり、この領域を支配しているの
  は、ブルジョア制定法ですらなく、それ以前ま
  たはそれ以下の特種の制定法である。それなら
  ば、この最上法源にたいして、この領域の法治
  主義・制定法主義にかかわる私のあれこれの固
  執もどれそれの拒絶も、ついにただ「鱓の歯軋
  り」でしかあり得ないのではなかろうか。そし
  てそれならば、この「鱓の歯軋り」の私による
  続行は、早晩ただ私がわれと墓穴を掘り下げる
  ことでしかあり得ないのではあるまいか。

 東堂の〈問い〉は、それが依拠する法自体が天皇という唯一者によって掠奪されており、蟷螂の斧と化すおそれが本来的に含有されているのである。東堂が〈問い〉によって勝ち取ったかに見えるささやかな成果――たとえば、確たる証拠なしに冬木を犯人とみなし、新兵たちの間で誰が犯人か互選投票させることの公式な撤回――もまた「最上法源」たる天皇が実存する以上、それを天皇の権限を使って成文化し正規の慣習とすることで無化され得るのだ。本来万人に等しく与えられているはずの法は、東堂はじめ新兵たちの手には存在しなかった。それは「角錐状階級系統」の頂点に屹立する人物とその追随者たちの手に握られていたのである。
 作中東堂が気づく〈問い〉の限界とはせいぜいここまでなのであるが、その実、これだけではない複数の欠点が存在する、順にみていこう。
 まず、法規類を完全に暗記して上官に歯向かうという方法のもつ非対称性について。
 三カ月の教育期間を描く『神聖喜劇』の内務班における上官―新兵の対立においてどちらが法規類に明るいかは歴然であって、そもそもこうした〈問い〉が険しい道程であるのは理解に難くない。しかしそれでも東堂は〈問い〉を止めないのであるが、その根拠となる法は『軍隊内務書』『砲兵操典』ほかは公式には配給されないのであって、東堂はたまたま上官たちの協力で『六法全書』その他の法規類を手に入れているものの、彼らの協力なくしては〈問い〉もいくらか制限されていただろう。ここに〈問い〉の困難のひとつがある。〈問い〉の根拠となる法はその一部しか所有することができず、その法も特殊な伝手がなければ上官からの配給を待つしかないのだ。教育期間中の新兵にとって法をより多く所有しているのは軍国支配者の方であり、〈問い〉の元手、闘争の持ち札は少なくならざるをえないということである。もちろん『神聖喜劇』では東堂の知らない法を盾に〈問い〉がはねのけられる場面は描かれていない。しかしそうではあっても、教育期間中の二等兵にあっては〈問い〉は非対称的で不利な闘争であることに変わりはないのである。
 先に絶対無責任の「最上法源」が実存する体制下での合法的反抗がもつ無力について触れた箇所で、合法的反抗の限界は「東堂自身の力不足に起因するものでもなければ、東堂の協力者たちの無能力に因るものでもない。それは〈問い〉そのものが本来的に包含せる瑕疵である」、と書いた。〈問い〉の限界について論じている以上、今や「東堂自身の力不足」についても記さなければならない。
 『神聖喜劇』において〈問い〉は東堂の類まれなる記憶力をその条件としていた。言うなれば、抑圧の現場に臨んですかさず条文を正確に暗唱することが求められていた。しかし、『神聖喜劇』を論じた文章で東堂の記憶力についてしばしば冠されている「超人的な」という形容は、残念ながら不正確である。
 大前田の戦地実見談に理想主義的言論を以て村上が介入する場面で村上は東堂に『陸軍刑法』の一部を暗唱させる。東堂は持ち前の記憶力でこれに答え「完全に暗誦しおおせた」はずであった。しかし村上はすかさずその誤りを指摘し、東堂は「天狗の鼻を折られたような気がした」のである。東堂の記憶力は無欠ではない。
 あるいは次の箇所。『軍隊内務書』に「休日ニ於テ教育、勤務等に差支ナキ営内居住者ハ之ヲ外出セシムルコトヲ得。但シ患者――就業者ヲ除ク、――及犯行取調中ノ者ハ外出スルヲ許サズ」という規定があるにもかかわらず、「練兵休」扱いの東堂は料亭「安芸」の仲居、蝶子と会うために営外に出てしまい、大前田から作中最もむごい制裁を受けている。ここにもまた法に依拠して抗う者の限界の一つが表れている。「何事にも規定を楯に取って上官に楯を突いてきた東堂が、自分で規定を破ったとじゃけん、どうんこうんどこにも逃げ道がないのう」とは直後の大前田の言であるが、東堂自身の力不足が当初新兵たちが教育終了予定であった四月九日において示されることは示唆的である。他にも東堂は『刑法』の「酌量減軽」を失念していたし、「金玉問答」のように生源寺の助けがなければ記憶していたはずの条文を言い淀み大前田にあやうくやりこめられる場面も存在していることに鑑みれば東堂の記憶力も完全ではないことは明らかである。東堂と鏡像的関係にある村上少尉にたいして〈問い〉はほとほと無力なのではあるまいか。
 加えて『神聖喜劇』が「一匹の犬」から「一個の人間」へと回生する物語である以上、東堂の記憶力は人並み以上ではあっても決して「超人的」ではない。「超人的な記憶力」という批評は二重に誤りなのである。
 しかしこれらよりも重大なのは、新兵たちに襲い掛かる不条理のなかに東堂の〈問い〉を以てしては解決不可能なものが出てきてしまうということである。
 二月三日の野砲教練で鉢田は大前田から身体的な「畸型」(左目下の火傷痕)をあげつらわれる。砲身を水平にする際、自己流で確認をしていた鉢田に向かって大前田は「左の目ん玉が小そうて、つぶるに便利じゃからちゅうて、行き当たりばったりに変な隙間からのぞきたがるな」と言い立てるのである。東堂は他者の「畸型」を嘲笑するのは不当であると感じ、当然ながら憤る。続く白石少尉の言葉――「よく鍛えてやれよ。片眼がつぶりやすいように出来とるなら、二番砲手には持って来いだろう」――を耳にして心の中で激怒してもいる。しかし東堂は「ただ憤りを抱いて黙視しているのみ」なのである。なぜか。ここで東堂の「我流虚無主義」が鉢田への不当な侮蔑を看過させたのではない。東堂は別の箇所で、自身に反抗を思いとどまらせるものが「我流虚無主義」ではなく「主として私の損得の打算」「暴力への恐怖」「生まれつきの小心」であると考察しているが、この場面において東堂が激しく憤りながらも黙っていたのは、東堂の〈問い〉では大前田を批判できない、あるいはその見込みが薄いからなのではないか。東堂は二月三日までの間「損得の打算」や「恐怖」、「小心」をはねのけてまで〈問い〉を発しており、そして一連の〈問い〉のすべてで上官に勝るか互角に渡り合ってきた。だがこの場面では〈問い〉は鳴りを潜め、黙視がそれに取って代わるのである。このことは軍隊における差別が法律に違反していないかぎり〈問い〉をぶつけることはできない〈問い〉の性質を指呼しているのではないだろうか。
 銘記すべきは、こうした差別への憤りを東堂はその場で表出させることなく〈問い〉へと回収してしまうこと、そして〈問い〉は軍隊の法に違反している限りにおいてしか差別者を糾弾することができないということである。東堂が合法的に批判できる範囲が差別そのものではなく、差別から派生した軍律違反行為であるならば、〈問い〉によっては大前田と白石による鉢田への侮蔑を取り去ることはできないのだ。〈問い〉に固執する限り東堂が取りうるのは〈いますぐ差別をやめろ。それは軍律に違反している〉という論法であり、条文ありき、勝算ありきの闘争である。では差別を禁止する法が存在しなかったら、あるいは、差別を奨励する法が作られたら、東堂は差別に抗わないのか。もちろん東堂を〈問い〉へと駆動する一因は差別への反感なのだから、東堂が差別に抗わないことはないのだろう。しかし、〈問い〉が法律に依拠して行われる以上こうした疑念は常について回らざるを得ないのである。
これらに加えて述べておかなければいけないのは、そもそも〈問い〉が依拠する法が東堂の与り知らない何者かが作成し国家の権威や暴力を条件として敷かれているものであり、それを利用した〈問い〉とは本来的に受動的にならざるを得ない闘争形態だという点である。
 これはいわば他人の褌で相撲をとるような反抗であり、相手の土俵に入って行って戦わなければならない抵抗である。そればかりか、天皇大権下での法に則って上官の違反を〈問う〉という選択自体が、東堂が究極的には破壊すべきものの権威の力を借りてなされる悪手なのではあるまいか。「ブルジョアジー〔支配階級〕自身によるブルジョア法律蹂躙」を制止するためになされる〈問い〉は最後的には批判すべき「ブルジョア法」に習熟することでなされるのだし、軍国主義下での〈問い〉とは軍国支配者に有利に作成され解釈される法に習熟することで実践される。つまり、たとえ法を完璧に暗記していたとしてもその闘争は反抗すべき対象の論理の枠内でしか発展しえず、闘争の途上で対立物を自己に映現させてゆかざるを得ないということである。大学出か否かについて問われた際になされた東堂の思索「ある特殊個人における異常極端な潔癖は、しかもしばしば異常極端な不潔癖(?)を内包しがち(または同居せしめがち)なのである」とは、東堂の〈問い〉の性質を指呼してはいないだろうか。
〈問い〉とは相手を交渉可能な対象とみなすことによって成立するのであるが、東堂が国家の改良ではなく破壊を企図している以上(7)、如上いくつもの欠点は突破されねばならないのである。


 天を撃つこと、〈叫び〉、暴力

 そうした合法闘争の限界を乗り越え新たな秩序を構築するひとつの「正解」は意外な場所、――『神聖喜劇』後半部の白眉――「模擬死刑」の場面において提示される。それも〈問い〉ではなく〈叫び〉の形をとって現出するのだ。
 三月一八日の午後、高浜演習砲台で休養する東堂らはある異変を察知する。どうやら「先天的低能」の第一内務班二等兵末永が休養中にこっそりと砲台構外の民家に立ち寄り鯣烏賊を拝借していたところを上官に見咎められ、第一内務班長の仁多ら数名が制裁を加えんとしているようなのである。仁多らは末永を松の幹に縛りつけ、線のつながっていない電話機を通して末永の死刑執行を拝命するふりをする。末永の犯行はむろん死刑に値する類のものではなく、仁多らも末永を「座興の嬲り者」として扱っているのであるが、当の末永は一連の模擬死刑執行の過程を真に受け悲鳴をあげながら助命を請うと同時に顔面を真っ青にしながら偽りの死を間近に感じている。こんなにむごい仕打ちはない。しかしながら、先に述べたように〈問い〉は差別が軍紀に違反している限りにおいてその違反行為を糺すことができ、差別そのものを〈問い〉によっては批判しえない。よってこの場面では差別そのものを批判するのではなく、「『陸軍刑法』違反ならびに『陸軍軍法会議法』違反の虚偽を公言し聯隊長の名において新兵をあざむいた」という論理を使えば仁多以下五名を合法的に〈問う〉ことができた。事実すこし後の箇所で〈問い〉による論法で上官たちを責めるのだが、しかし現時点において東堂はそうしなかった。あるいは、そうはできなかった。ここで東堂は〈問い〉ではなく〈叫び〉によって不条理に立ち向かったのである。
「見るからに無慙な形相」で泣き叫ぶ末永を「座興の嬲り者」として扱う仁多軍曹らに対して、東堂は、それを「人間の魂にたいする侮辱凌辱」とみなし、生源寺による制止をふり切りながら「止めて下さい。誰にも許されていません、そんなことをするのは」と絶叫してしまう。瞬間、東堂は自分の絶叫とほぼ同時に別の絶叫を耳にする。「止めて下さい。人のいのちを玩具にするのは、止めて下さい」。それは入隊以来、上官あるいは僚友から不当な目線を投げかけられてきた冬木によって発せられていた。
 二名の〈叫び〉に模擬死刑は中断し、仁多や田中軍曹は〈叫び〉の主、冬木を難詰する。過去に正当防衛とはいえ殺人を犯した事実を真率に見つめ「根限り力いっぱい、人のいのちを大切にして行かにゃならん」と宣言する冬木は戦場でお前は銃をどこに向けるのかと問われ次のように答える。そしてその冬木の声には従来東堂を悩ませてきた難問にたいする「正解」、または「ほとんど正しい解答」あるいは「複数正解の一つ」が表れていた。

  前とかうしろとか横とか向けてよりほか撃たれ
  んとじゃありまっせん。上向けて、天向けて、
  そりゃ、撃たれます。
 
 冬木が決然と口にしたこの「正解」からわれわれはいったい何を読み取るべきであろうか。大岡昇平のように「敵味方いずれかによる、自己の死を前提とせる選択なり」(8)というような、殺すより殺されることを選ぶ崇高な自己犠牲の宣誓と解釈すべきであろうか。しかしそうではない。冬木が抱いているのは、「この戦争に死すべきである」流の虚無主義ではなく、「人のいのちは、何よりも大切であります」という種類の理念である。「人のいのち」を大切にする態度は当然自己の生命も重視するはずであり、冬木の宣言を自己犠牲と解釈することは難しいだろう(9)。また同様の理由から、「天向けて撃つ」ことを敵に自陣の位置を知らせ、味方を危険にさらす行為だとする見方(10)も首肯しがたい。というのも、冬木の「正解」はほかならぬ「人のいのち」を重視する思想に立脚しており、味方、あるいは自己の死の可能性を増大させる振る舞いをそこから抽出すべきではないからだ。われわれは冬木による「正解」をその象徴的な意味において探らねばならない。
 ここで確認しておきたいのは、冬木の宣言が「天向けて、そりゃ、撃たれます」であり、たんに「撃たない」という非戦的な態度の表明ではない点である(11)。誰も殺さないという態度の確固たる宣言であれば、なにもわざわざ「天向けて」撃つことはない。『野火』で田村一等兵がそうしたごとく、銃をすてればよい。しかし、にもかかわらず冬木は「天を撃つ」のである。冬木の銃は敵味方のいずれにも向けられてはおらず、しかし同時に、天に向けられている――。冬木は「人のいのち」を第一に尊重しながらも、たしかに何者かに向かって銃弾を放つのだ。
 それでは、自らの死を前提とした自己犠牲でも、誰も殺さないという非戦の徹底でもないとしたら、冬木の「正解」はいったい何を意味するのか。
 武田信明は冬木の返答について、

  ここに、鮮やかに空に筒先が向けられた銃の垂
  直が屹立する。それはまた幻視の銃でもある。
  冬木は、誰も撃たないがために銃を上方に向け
  るのだと言う。垂直に立てられた銃口の先に
  は、頂点としての天皇が位置するのではない
  か。

とし、「天向けて、そりゃ、撃たれます」を天皇へ向けられた銃と読んでいる(12)。武田は「それは単に過激な誤読であるのだろうか」と論を結び、その解釈をいわば宙吊りのまま提示しているのであるが、われわれはこれに立脚して論を発展させるべきだろう。
 ここで注目すべきは、意識的あるいは無意識的な「天を撃つこと」の表明が直後東堂によって、「敵味方を問わずあらゆる人間にたいして鉄砲・兵器を用いるつもりは彼にない、と冬木は、あえて言い切ったのである」(傍点引用者)と解釈されている点である。前方の敵、後方の味方、「あらゆる人間にたいして」その銃口は向けられておらず、かつ、それが「天を撃つ」のだとしたら、その銃口は「角錐状階級系統」の頂点に鎮座し、敗戦の翌年まで「人間ではなかった」天皇に突きつけられてはいないだろうか――。
 おそらく、一月二五日における東堂との会話の中で漏らされた冬木の言葉――「だけど僕だって、天皇陛下への人なみな忠義は尽くされるつもりですよ」――は天皇を撃つことと矛盾しない。冬木は被差別部落に生まれ、幼いころから不当な差別を蒙ってきた。また、冬木に「前科」がついたのも元をただせば冬木が差別的な視線を投げかけられたことが端緒であった。そして冬木が言うように地方で受けてきた不当な差別は「いまも、ここでも、続い」ている。「天皇陛下への忠義」云々のすぐ前に、冬木が「営門を潜って軍服を着れば、裸かの人間同士の暮らしかと思うとったら、ここにも世の中の何やかやがひっついて来とる。ちっとも変わりはありゃせん」とこぼし、地方と同じく軍隊内部においても現に差別が行われていることを示唆したと同時に、急にそれまでのくだけた口調をあらため、「だけど僕だって、天皇陛下への人なみな忠義は尽くされるつもりですよ」と述べるのである。
 ここに、その時代の支配階級、あるいは、冬木を差別する社会的強者の思考・理想を追認することでしか自己を社会的に定位できない被抑圧者の姿が見出せはしないか。「個人は〈主体〉の命令に自由に従うために、したがって自己の服従を(自由に)受け入れるために(中略)(自由な)主体として呼びかけられる」のだ(13)。天皇制を絶対的な中心に据える空間では、主体は権威から自己を保障してもらうために権威に服従を強いられる。とりわけ社会的劣位におかれる冬木は自己に敵対的な権威を尊重することでようやく自由が担保されるのだ。加えて東堂も冬木の「天皇陛下への人なみな忠義」は仮初のものにすぎないことを「自己流に了解」している。つまり、冬木の思想は転回したかに見えても、その実一貫しているとするのが妥当ではないだろうか。
 また、「人のいのちは何よりも大切であります」と叫ぶ冬木が天皇を撃つのは撞着しない。むろん冬木がテロリズムを肯定しているなどと言うつもりはない。冬木は人を殺めた過去を痛切に反省しており、もはや人を傷つけることを欲しないであろうことはだれの目にも明らかであるからだ。このことは『神聖喜劇』が全篇を通して暴力否定の思想を強調していることからも明白である。とはいうものの、再三強調してきたことだが、人を傷つけない意志を堅持する冬木は銃を捨てるのではなく「天向けて撃つ」のである。以上の分析から導出すべきは、冬木の銃はやはり天=天皇に向けられており、しかもそれは天皇の肉体を損なうのではなく天皇という社会的装置、天皇制秩序への決別を表明しているという解釈ではないか。「あらゆる人間にたいして」銃を用いはしないという描写は、天皇という人間の非人間的な部分、すなわち、天皇という装置の廃絶への祈りではないだろうか。冬木らの所属する軍隊が天皇を中心とする「角錐状階級系統」であり、「無責任の体系」であるため合法闘争が徒労に終わる恐怖を東堂は感じていたが、その東堂が冬木の解答を「正解」と感じたのは、冬木がそうした天皇制秩序への異議を唱えていたからではなかったか。天皇制秩序内部における合法闘争の限界から脱するためには、「最上法源」としての天皇を否定することで天皇制秩序の閉域を内破しなければならないのであるが、冬木はここで天皇を中心とする秩序・軍国主義イデオロギーとの訣別を高らかに奏したのである。
 『神聖喜劇』を不敬文学として読むことは決して我田引水ではない。「知りません禁止・忘れました強制」からこの軍隊が「角錐状階級系統」であり、「無責任の体系」であることを喝破した東堂は天皇を「絶対無責任者」と考察しているし、そうした「絶対無責任者」を戴く体系は「腐敗堕落をまぬがれ得ない」と結論してすらいる。このように読んでいけば、『神聖喜劇』の不敬性に思い至るだろうし、東堂の特異な人物造型からし天皇制に背反することに考えが及ぶのも自然なことである。
東堂らによる反抗は天皇制秩序を批判するところから出発しなければならないが、天皇制が「丕顕ナル皇祖考丕承ナル皇考」に責任を負っていること、「死者・亡霊・非有・架空の類」に責任を負っていることはすなわち、「現身の何者にたいしても責任を負ってはいない」事実を意味する。「歴史という私有財産を所持する支配者は、神話の保護の下に、まず何より、それを幻想というかたちで所持する」のだ(14)。また、丸山眞男は「超国家主義の論理と心理」のなかで、天皇制の価値の淵源が過去にあり、その無限性、過去一般の曖昧さゆえに価値が保証されていることを鋭く指摘し、それを大日本帝国陸軍ひいては敗戦以前の日本人たちの心性に関連付けて論じているが(15)、過去の茫漠さにその価値の根拠を置く天皇あるいは天皇制と東堂の特筆すべき性質である人並みはずれた記憶力とは実に対照的であり、東堂の抜群の記憶力とは過去を曖昧にせずそこに甘んじることのない態度の人格化といえるのではないだろうか。これらのことから、東堂の人物造型からし天皇制と衝突する闘争が決定されていたとみても決して読みすぎではないだろう。『神聖喜劇』と不敬性は根底において深く結び合っているのである。
 ここには〈叫び〉の本質が現れている。〈問い〉が天皇現存下での法を武器に不条理に抗う合法闘争であるとするならば、〈叫び〉とは天皇現存下での法それ自体に抗う非合法闘争である。ただし非合法闘争といっても『神聖喜劇』における〈叫び〉は法に反すること自体を目的として行われるものではなく、不条理の看過を自分に許すことができない局面において法に依拠することなく実践される不敬な闘争形態だといえるだろう。
 〈叫び〉は〈問い〉のように勝算ありきの打算的な戦いではないし、人並み外れた記憶力を持つ東堂だけに許された闘争でもない。事実「模擬死刑」の場面でみられる〈叫び〉は冬木の「正解」の直後、――『陸軍軍法会議法』によれば聯隊長には死刑執行の命令権はなく末永の取り扱いはおかしいと再度〈問い〉による論法で仁多たちの不正を指弾する東堂を尻目に――再び冬木から発せられる。仁多は両名に対し「えらそうな口はなんぼたたいても、身代わりに立つとはまっぴら御免をこうむる、ちゅうとが、貴様らの根性か」と託つのだが、冬木はこの挑発に乗ってしまう。「それで末永が無罪放免になるとでありましたら、冬木は、身代わりに立つとをちっとも厭やしません」。冬木のこの発言を東堂は「言うべからざる(あるいは言う必要のない、あるいは言わぬほうがよい)こと」と捉えている。それもそのはずで、ここまで〈問い〉によって不条理に抗してきた東堂にとって身代わりになることと引き換えに末永の営外への離脱ならびに民家での窃盗の罪が取り消されるというのは(ブルジョアジーの手によるものではないにしても)「ブルジョア法の蹂躙」であって矛を向けてきた当のものである。つまり法に照らせば不正な発想なのだ。
 しかし東堂の打算によっては悪手と判断したこの発言は、新兵たちの間に予期せぬ力を充満させる。末永の身代わりとして自己を投げ出した東堂と冬木を前にしてお前たち二等兵は黙ってただ見ているだけなのか、「自分も身代わりを請け合おうちゅう兵隊は、おらんとか。おったら、名告って出て、ここに、身代わりの戦友たちの左翼に、ならべ」と村崎一等兵が扇動し、第一・第三内務班の二等兵計三二名が自分の名前を〈叫び〉これに呼応したのである。第二班の新兵たちに身代わりを呼びかける直前に村上によってその場は中断されてしまったが、そうでなければより多くの新兵たちが〈叫び〉に共鳴していただろう。この〈叫び〉は途中で諌められてしまうものの、『神聖喜劇』随一の成果がここに表れている。
 これを村崎という上官による命令の下級者による遂行とみなしてはならない。なぜなら村崎が新兵たちを扇動しようと東堂たちに近づくのと同時に――村崎が身代わりを呼びかけるより前に――橋本・鉢田・白水・生源寺は身代わりになろうと動き出していたのだし、村崎は軍国支配者というよりは新兵の側に立つ上官であるからだ。大前田との間に交わされる反軍国主義的な会話や東堂の前での反軍的独白、ならびに今回と合わせて二度の重営倉入りの経験などが示すように、村崎は一等兵ではあっても専ら食卓末席組と同種の反骨を抱懐していることは明らかである。
 〈叫び〉を発した三二名は単に上官からの命令に従った二等兵の群れではない。そこに居たのは上官による新兵の不当な侮蔑に叫ばずにはいられなかった自律的な人間たちである。
 「模擬死刑」の場面における〈叫び〉について強調したいのは、それが軍隊の切迫した不条理に対する非理性的な情動の発露なのだということである。仁多らの非道に向かって東堂と冬木が〈叫び〉をあげる場面をもう一度みてみよう。
 末永への「侮蔑凌辱」を黙視し続けることができなくなった東堂は、自身の「小心も臆病も恐怖も保身慾も分別らしさも」かなぐり捨てると同時に、「「爼板の魚」となるべきことを観念して、絶叫した(私の開口寸前、生源寺が、私の剣鞘を握って下へ軽く二、三回引きながら、「東堂、東堂。」と気遣わしげに呼んだけれども、私は、強行した)」のである。
 これまで書いてきたことを繰り返せば〈問い〉とは上官・新兵がともに遵守しなければならないとされている法を根拠にして上官からの不条理横行を咎めるという概して理性的な=打算的な行為であったのだった。鉢田への差別を東堂は内心激怒しつつ黙視したまま動かない場面を先に見たが、その時点での東堂は煮えたぎる怒り(=非理性)を法を駆使して責め立てる〈問い〉(=理性)によって回収する闘争をしか知らなかったのである。もちろん〈問い〉にも鉢田「畸型」差別時のような心が震えるような情動を感じそこから出発していた。しかし〈問い〉には勝算を見込んで相手を説得する理性=打算が絡んでいるのである。
 翻って「模擬死刑」の場面での〈叫び〉に見て取れるのは東堂を案じる生源寺の理性の声を押しのけてまで叫ばずにはいられない非理性的情動の肯定である。沈黙を押しのけて発せられたこの〈叫び〉とは、理性であれば引き返すべき道を突きすすむことである。こうした非理性は東堂にのみ見られるものではない。「天向けて」発言の直前、冬木の眼に宿っていたのは「悟性の光とは別な何か」であり、鶏知屯営へ入隊する船の甲板で東堂が冬木に見たのも「悟性の光とは別な何か」であったのだから(16)。また、〈叫び〉は非理性的=非打算的であると同時に自律的でもある。村上によって新兵たちの〈叫び〉への共鳴が「党与抗命罪」にあたるものとされ沈静化されることになるだけでなく、村崎による扇動が介在しているとはいえ身代わりの隊列に参画することがすなわち仁多ら上官への敵対を表明することと等価である点を見れば明らかなように、新兵たちの〈叫び〉は上官の統率を離れた彼ら各自の自律性のもとで爆発している。ここでの新兵たちは大前田が言う「一枚二銭のはがきで、なんぼでも代わりが来る」ような「消耗品」ではもはやない。彼らはここにおいて代替可能な二等兵ではなく交換不可能な一個の特異な人間として自己を現すのだ。入隊したからにはお前たちは人間ではなく兵隊であると宣う軍国支配者の言からも彼らはもはや超出した。この〈叫び〉の後、新兵たちを扇動した村崎をはじめとする五名は営倉に入れられているが、これは〈叫び〉によっては東堂による〈問い〉のような成果が得られなかったことを決して意味しない。東堂たちは「角錐状階級系統」の最下部の二等兵として一般に主体的な判断を禁じられ、個を剥奪されながら生活してきたが、「模擬死刑」でなされた「角錐状階級系統」への反抗は奪われた個の奪回に他ならない。東堂たちは『神聖喜劇』の最終部に至って東堂による〈問い〉がもつ限界をその一瞬間において突破したのである。軍による差別、人間性への侮辱に対しそれが法の侵犯を結果したとしても構わず怒り立ち上がる友の存在を新兵たちが互いに確信し得たこと、これこそが〈問い〉にはない〈叫び〉の成果である。
 このようにして見れば、四月二十三日での堀江による訓示、「本能を出すな」や『戦陣訓』の「怒を抑へ不満を制すべし」とは情動の否定の謂いであろう。国家や軍隊(そして法)は暴力の独占を背景にそこに所属する者たちを脅し囲繞し服従させる。不条理に憤慨していてもその者の身体の毀損、友や愛する者へ及ぶ害、あるいは究極的にはそれらの死をちらつかせ、〈理性的に考えてみてください。わたしたちはあなたの味方です。おとなしく黙っていさえすればあなたとあなたの愛する人たちの安全は保障されるのですよ。さあ、落ち着いて話し合いましょう〉と囁いてくるのである。情動の捕獲こそが国家や軍隊の任務であって、情動の爆発をこそ軍国支配者は厭うだろう。
 ただ注意しておかなければならないのは上官からの支配を離れた新兵たちの自律性を、大船越への引率外出で新兵たちが自由行動を言い渡された瞬間に東堂に感じさせた戦地での悪逆非道の相関物へと堕せしめないようにすることだ。つまり、情動の肯定が国家や軍隊の本質である暴力へと帰結しないようにしなければならないということである。
 そして『神聖喜劇』を軍隊への闘争という視点から読んだ場合の最大の懸案事はといえばこの暴力の問題ではないか。東堂は暴力について否定はしている。しかしその否定の仕方も相当に複雑微妙である。
 東堂にとって暴力とは「人が本来頼るべからざるもの・窮極的に頼り得ざるものでなければならない」ものである。これは『神聖喜劇』の全体に見出しうる倫理であって、東堂は幾度か暴力による問題解決への誘惑を感じながらもそれを払いのけている。なぜなら暴力の誘惑に屈することは、上官の悪を自己に映現させてしまうことに他ならないからである(17)。しかし東堂は暴力を完全に否定しているわけではない。
 「私は、腕力ないし暴力の行使を原則として否定したものの、私の否定は、主として個人的な強力の行使を対象としたようでもあり、それゆえ私は、事柄を「腕力ないし暴力」という言いまわしで考えたようである」と内省する東堂は同時にこの「聖戦」が集団的な暴力の行使であることにも思い至らざるを得ない。
 では暴力を完全には否定しない東堂が肯定する暴力とはいかなるものなのか。それは作中唯一東堂が快く感じた暴力に鍵がある。先に〈問い〉の限界の一例として鉢田の外見上の「畸型」が上官によって嘲笑される場面を挙げた。そこで東堂は黙視しているだけで他の新兵たちが口元に薄ら笑いを浮かべるのを前にしても怒りを表出させることができなかった。しかしこの薄ら笑いを浮かべる新兵、吉原に「怒りと侮蔑を剥き出しにしたような」村崎が突然平手を食らわせるのだ。「上級者が下級者に暴行する情景を、初めて私は、爽快な、少なくとも不愉快ではない心持ちで目撃した」と東堂に思わせる暴力がここにはある。これは「個人的な強力の行使」である。しかし同時にこの暴力は鉢田への差別の否定であり、暗に大前田や白石を批判する暴力である。このように東堂の暴力否定は、暴力が人倫に照らして不当な抑圧を斥けるためになされる場合に限り一時的に解除されると言えるだろう。
 『神聖喜劇』における暴力を論じるにあたって触れておかなければいけないのは東堂が地方から持参したジョルジュ・ソレルの『暴力論』についてである。東堂がそこからいくつか引用している文章のなかでソレルは「強制力(force)」と「暴力(violence)」を区別して次のように言う。

  強制力は、少数派によって統治される、ある社
  会秩序の組織を強制することを目的とするが、
  他方、暴力はこの秩序の破壊をめざすものだと
  言えるだろう(18)。

 すなわち、ソレルは一般に暴力と呼ばれるものを二分し「強制力」と「暴力」を区別しているのだ。またソレルは、「人びとが勝利に終わるか隷属に終わるかにちがいない戦いに参加しているとき、崇高の感情が闘争条件からごく自然に生まれてくるはずなのだ」と述べ(19)、その戦いに参加した兵士は「主人の強権的命令に従うだけの戦闘機構のたんなる部品」ではなくなるとしている(20)。これは「模擬死刑」における三二名の新兵たちの〈叫び〉について書かれたものではないだろうか。『神聖喜劇』における「強制力」とは上官からの不当な制裁であるだろうし、「暴力」とは単なる膂力の行使とは異なる「模擬死刑」での新兵たちの〈叫び〉を指すだろう。東堂はその〈叫び〉の連鎖とそこで提出された「暴力」を経て次のように考える。

  私自身については、もはやほとんど何かを恐ろ
  しがりはしなかった。その私の心は、一種の昂
  揚感と一種の空漠感とが、同一の質量で(あや
  しい均衡を保ちつつ)同居していた。

 すなわち、新兵たちが発した「暴力」とは、〈叫び〉によって解き放たれた非理性的情動の肯定であり、それ以上でもそれ以下でもない。新兵たちによる〈叫び〉の直後に記述された二つの感覚――友を見出した「高揚感」と〈叫び〉が一時的に中断されてしまった「空漠感」――こそが、〈叫び〉と並ぶ『神聖喜劇』の倫理である。

註(1)『新日本文学』(第七巻一〇号、一九五
    二・一〇)、一二二頁。
 (2)ロラン・バルト『文学の記号学 コレージ
    ュ・ド・フランス開講講義』(花輪光訳、
    みすず書房、一九九八・一〇)、一五頁。
 (3)井口時男は「正名と自然」(『悪文の初
    志』、講談社、一九九三・一一)のなかで
    鉢田と橋本の「殺して分捕る」発言を「直
    言」と呼び、それが「現実に言葉を合致さ
    せようとする」言語使用であるとしている
    (四七―四八頁)が、本稿では「直言」を
    鉢田と橋本だけでなく白水や室町にも見ら
    れるものとしてより広く用いている。
 (4)入隊当夜での夜食要求はそもそも『軍隊内
    務書』の配給以前の事態であるから東堂の
    意図的な合法闘争ではない。よってここで
    は述べない。
 (5)前掲井口、三四頁。 
 (6)丸山眞男超国家主義の論理と心理」
    (『現代政治の思想と行動』、未來社、二
    〇〇六・八)、二五―二六頁。
 (7)「たしかに「全国家機関」の(「改革」で
    はなく)「破壊」が、中心的・終極的な目
    標でなければならなかった」と東堂は考え
    ているし、高校時代の東堂は自己を「無政
    府主義的マルクス主義者」ないし「共産主
    義的無政府主義者」と感覚していた。
 (8)大岡昇平「曇りのち晴れ」(『文学界』、
    一九八〇・七)、一六七頁。
 (9)井口時男は「「正名と自然」再び」(『大
    西巨人 抒情と革命』、河出書房新社、二
    〇一四・六)のなかで冬木の返答を自己犠
    牲的な死を前提としたものであるとみな
    し、最終部における東堂の虚無主義からの
    転回――「私は、この戦争を生き抜くべき
    である」――との背反を指摘したうえで、
    この宣言を『神聖喜劇』の到達した精華と
    みなす論評に異を唱えているが、これはあ
    たらない。というのも、後述の通り、東堂
    の思想上の転回をいわば先取りする形で冬
    木はこの戦争あるいは天皇制を中心とした
    「角錐状階級系統」の撃滅を宣言し、自己
    の死を峻拒していたからである。
(10)立野正裕は「兵士の論理を超えて」(『精
    神のたたかい』、スペース伽耶、二〇〇
    七・六)、のなかで「銃を空に向けて撃つ
    ことは、結果として敵か味方かによって殺
    される――戦死か死刑か――をほとんど確
    実に意味するだろう。」(二四八―二四九
    頁)と述べている。
(11)立野正裕は冬木の「正解」が意味するもの
    は、「だれも殺さない」という一点にある
    と断じているが、これは冬木が「撃たな
    い」ではなく「撃たれます」と応答したこ
    との意義を見落としているだろう(前掲立
    野、二五一頁)。
(12)武田信明「野砲の水平・銃の垂直――『神
    聖喜劇』論」(『早稲田文学』、二〇〇
    二・五)、四九頁。
(13)ルイ・アルチュセール『再生産について 
    下』(西川長夫・伊吹浩一・大中一彌
    今野晃・山家歩訳、平凡社、二〇一〇・一
    〇)、二四四頁、傍点原文。
(14)ギー・ドゥボールスペクタクルの社会
    (木下誠訳、筑摩書房、二〇〇三・一)、
    一二五頁、傍点原文。
(15)前掲丸山、二六―二七頁。
(16)冬木の両目に伏在する「悟性の光とは別な
    何か」が、あの「知りません禁止・忘れま
    した強制」事件で冬木が「忘れました」を
    撤回し「知りません」へと改めた直後に描
    写されていることも重要である。
(17)東堂はしかし知らず知らずのうちに暴力を
    体得していく。東堂は野砲の持つ魅力に惹
    かれ、その操作に習熟していくし、大前田
    の野砲操作に感動してすらいる。しかし野
    砲は「聖戦遂行」のために人を殺す道具で
    あるのではないか。東堂のこうした行為は
    人殺しの技術に長けていくことではないの
    か。また、東堂の「私はこの戦争に死すべ
    きである」や「人生において何事か卓越し
    て意義のある仕事を為すべき人間であるな
    らば、いかに戦火の洗礼を浴びようとも必
    ず死なないであろう。もし私がそのような
    人間でないならば、戦野にいのちを落とす
    ことは大いにあり得るであろう」という観
    念は意図せず戦争という暴力に加担してし
    まう思想なのではないのか。
(18)ソレル『暴力論 下』(今村仁司塚原史
    訳、岩波書店、二〇〇七・一一)、五三
    頁。
(19)前掲ソレル、一二八―一二九頁。
(20)前掲ソレル、一八三頁。

 なお、本稿の『神聖喜劇』からの引用はすべて光文社文庫版全五巻(二〇〇二・七―一一)から行いルビは省略した。

東京図書館紀行(図書館司書の給与明細)

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 すこし前に業界最大手代理店の仲介で都内の図書館に旅行にいくことになりました。そもそもぼくは旅行なんてしないほうがいいし、してはいけないと考えていました(そしてこの考えは旅行を通して強まりこそすれ弱くなることはありませんでした。みなさんは旅行したら勉強する時間が減りますがそれでいいのですか?)。学生も3年生になると一斉に身なりを整え旅行に向かいますが、ぼくは旅行を卒業間際まですることなく読書や映画鑑賞に勤しんでいました。なぜそんなぼくが旅行を決意したのかというと、それはただ必要に迫られたという理由からでした。それ以外ではありません。卒業を控え実家から離脱するためにどうしても旅行をしなければならないのなら図書館だろうと思って申込みをしましたが、どこもそうなのでしょうか、契約の際に「その旅行代理店の評判を落とすようなことをしない」という念書を書かされました。代理店の方にはSNSなど気をつけてと言われたのをよく覚えています。

 しかしそんなことはどうでもいいのです。今後ぼくと同じように図書館に旅行に行きたいという方や図書館ってどんなところなのか知りたい方のために7.5泊の旅の詳細を書いていこうと思います(もっと短い日程で旅行代理店が募集をかけていることも多いです)。そしてあたりまえのことですがこれはぼくの図書館旅行記で、他の図書館に旅行に行かれた方とは旅行内容も異なるのは当然です。しかし、小樽に旅行に行った方の多くが海鮮丼を食べ、石垣島に行った方が海水浴を楽しむように、図書館旅行記としてはオーソドックスなところをおさえたつもりです。この記事を最後まで読んでくださる奇特な方は冗漫な文章のなかに図書館旅行の雰囲気を見出していただけるとうれしいです。

 ではさっそく1日目から。

 気になる旅行代金は記事の最後に公開しますのでお楽しみに!

【1日目】 

・開館作業

 図書館を開けます。まるで眠っている図書館をゆっくりと目覚めさせるようなイベントです。館内の電気をつけ、空調をONにして棚の鍵を解錠します。書架の間に光が差し込み本の背を照らす様子はこの旅のなかでもとりわけ魅力的な光景のひとつです(旅行代理店から図書館の写真はネットにあげないようにキツく言われているので残念ながら写真はありません)。他にもカウンターのパソコンを立ち上げ図書館業務に必要なソフトの起動やコピー機の電源を入れたりします。

 次に今日の新聞を棚に置きに行きます。十数紙ある新聞の日付をチェックしホチキスで止めていきます。新聞によって置かれる場所が違うので覚えるのに一苦労です。


・図書館旅行客同士の朝のあいさつ

 同じ旅行代理店を通じて旅行に申し込んだ旅行客同士でツアー日程の確認をします。6日目の図書館の荷物発送担当者や季節限定で開催される電話連絡担当者などです。このあいさつを経てようやく旅行が始まったなという感じがしてきます。「こまごまとしたことは連絡帳に書いてありますので、今日もいちにちよろしくお願いします」(連絡帳というのは図書館旅行者どうしの業務引継表のようなもので今日やらなければならないこと、特定の利用者が来たときに伝達しなければならないことなど、たくさんのことが書いてあります。しょうじきなところ覚えきれません)。

 このあいさつを終えてようやく本格的に図書館旅行のスタートです。自動ドアを開けてパーテーションを外し図書館に入ってくる人たちを受け入れます。


・図書館荷物の受け取り

 朝のあいさつで言われたので、ぼくは提携しているほかの図書館からの荷物を受け取る作業をすることになりました。郵便で届いた本をバーコードで読み込み、別の画面で予約通知を行ったあと、その本を予約した利用者の情報が書かれた紙の特定の場所にマーカーをぬって棚に並べます。本がちゃんと送られてきてるか1冊ずつ番号と照らし合わせながら確認します。

 次に送られてきた内訳票のコピーをとりファイリングしたのち旅行の内容を記録する用紙に箱数と冊数を書き入れます(これは旅行者全員に記入が義務づけられている用紙ですので忘れないようにしてください。旅行中のあらゆる業務を余さず記録するくらいの気持ちでいればあまり間違えません)。

 最後に箱を倉庫にしまって荷受けの作業はおしまいです。これらの一連の作業も簡単なようで覚えるのに時間がかかります。

 でも安心してください。複雑な作業でも旅行者(非正規)と旅行先の図書館住民(正規)との間で作った分厚いマニュアルがあり、それに従えば大丈夫です。図書館旅行のスケールの膨大さを象徴するかのように数百ページのファイルが旅行者各自に配布されます。

 この作業のあとは2日目まで自由時間でした。1日目に限らず自由時間には本の貸出・返却や予約本の受け渡しをはじめ、DVDの利用手続きや利用証の発行・更新、プリンタのトナー交換、利用者向け説明会の準備や館内の巡回、返却された本・雑誌の配架、気温と湿度のチェック、勉強やゼミのプレゼン練習などにつかえる個室や見学申込みなどの各種申請書の受付や、手順が多いわりに画一的な説明を何回も繰り返すため意外と厄介なノートパソコンの貸出などなど、思いつくだけでもこれだけやることがあるので退屈することはないでしょう。この自由時間こそ図書館旅行の醍醐味と言えるかもしれません。これらはもちろんあのマニュアル通り対応しなければなりません。しかしマニュアルの確認で利用者を待たせると怒られてしまうこともあるので注意が必要です。


【2日目】

・旅行先の住民(正規)との会合

 定期的に旅行先の住民(正規)とぼくたち旅行者(非正規)との間で図書館運営について会議が持たれるようで、今回の旅行ではたまたまその集まりに参加することができました。聞いたはなしだと旅行7回につき1回しか開催されないとのこと。ラッキーでした!

 会議では、その週に予定されている行事や前の週に図書館で起きたことを図書館旅行者が説明し図書館住民がそれに対し質問と指示を投げるという形で行われるようでした。なんだか旅行者と住民の格差を旅行者・住民双方が内面化しているような集まりで居心地が悪かったのを記憶しています。この旅のちょっぴりイヤな思い出です。極右の住民の「お言葉」を最後に集まりは解散し、旅行に戻ります。おつかれさまでした。


・住民への旅行記提出

 残りの30分で前の週に図書館で起こったことをまとめます。時間別の入館者数(入館者数をテキストとエクセルで記録し、決められた複数の場所に保存する)やDVD貸出人数、業者の出入り時間とその内容、図書館荷物の箱数・冊数、貴重本貸出の記録、ノートパソコン貸出数、ILL(他の図書館から/へ資料の貸出/借受、資料の一部をコピーして発送/受取、紹介状の発行/受入、利用者がほしい資料がその図書館にあるかどうかの所蔵調査の依頼/受入などなど。もちろん各業務にはマニュアルが伴う)件数の記録、図書館利用説明会の人数とその内容、その他図書館旅行で起こったこと全てを図書館住民に報告するために所定の用紙にまとめます。この用紙は内容を厳しくチェックされ不備があれば先輩旅行者や住民から突き返されます。これも馴れですね。

 ここまでの旅行を終えて、ぼくたち旅行者は住民の依頼を受けた代理店が派遣した代替可能な「スタッフ」だということがわかってきました。


【3日目】

・個人情報保護祭

 3日目は旅行代理店が個人情報保護に気をつかっていることを対外的にアピールするためにわれわれ旅行者が毎年受講している祭が行われました。旅行者のリーダーが代理店から渡された資料を読み上げるという形骸化された祭で、個人ではなく代理店を通したツアーだとありがちな行事でした。代理店が作った資料も結局代理店の社会的な信用が失われないように、言うなれば代理店に迷惑がかからないようにするため個人情報は守られねばならないというような内容でした。こうした祭を真剣に受けさせられる旅行者の家畜化の問題もありますが、この旅行記以外で書かれるべき事柄でしょう。

 伝統になっているとはいえ年に1度のこの祭で貴重な1日が終わってしまったのも今ではいい思い出です。


【4日目】

・自由時間

 ほかの自由時間と違って図書館住民が休憩に出るため旅行者は気楽に観光していました。この日は本にはってあるラベルをはりかえたり、本がカビていないか本棚の間に潜り、何百冊という本を専用の移動式の棚に積み降ろししてチェックしました。力作業でとてもしんどいですが、これも図書館旅行の一環です。棚の拭きとりも怠らないように気をつけましょう。

――――――――――――――

ここで1日休憩しました。お腹が空いたので近くの牛丼屋で納豆丼を食べました。その後、5日目が始まるまで図書館近くのベンチで読書しました。この1日図書館旅行のなかで最も喜びに満ちている時間であることは旅行自体は否定しない旅行者とも一致する考えかと思います。旅行者たちはできるだけ安くすませるため弁当を用意したりカップヌードルを買ったりしている方が多いようです。

――――――――――――――

【5日目】

・自由時間

 4日目に続き自由時間でした。ぼくは先輩旅行者からおすすめされたスポットに向かいました。そこでぼくは来月のカレンダーを作って印刷したり、図書館内の雑誌の一部を別の棚に移動させたり(ただ移動すればよいのではなく、その号が発行からどのくらい経ったか、どのくらい移動したら棚に余裕ができるか、などなどいろいろ考えながら作業を行います。もちろんほかの作業同様棚に移動する際には旅行者どうしでダブルのチェックが必要です)、新しく図書館に入ってくる本のチェックをしたりしました。何百冊となく入ってくる本を分類通りに並べ替え、本のデータを修正し、パソコン上で利用開始の処理をして、本に図書館独自のスタンプを押して、他の旅行者にチェックを依頼し、といった面倒な行程をこなします。新しく本を眺めるだけでも勉強になりますね。

 
【6日目】

・電話連絡

 図書館の本を返さない人にぼくたち旅行者が電話、手紙で督促します。一定期間返してくれない利用者のデータを抽出し、その本が図書館内に無いことを旅行者総出で確認した後、電話をかけます。今回の旅行では70人の延滞者に電話連絡を3巡しなければなりませんでした。電話が繋がらなかったり、急に切られたり、電話に出た家族が横柄だったり、顔知らない人に電話をかけ続けるというのは苦痛てしかありません。電話をいつかけたか、通話できたか否か、何人に電話したかなども逐一記録(記録用紙とデータ上)が必要です。やっと6日目が終わりました。


【7日目】

・図書館荷物の発送

 朝のあいさつで指名されたので、提携している図書館にむけて荷物を送ることになりました。予約が入っていないか確認して、また、予約のキャンセルを確認してから荷物を作ります。その日に送るべき荷物をデータで抽出・印刷して現物と照合・梱包し、伝票をつけて送ります。もちろん箱数と冊数の記録も忘れずに。内訳を記した紙は3枚あり、1枚は相手館にファックスし電話で確認、2枚は2枚ともコピーしファイリングしましょう。

・自由時間

 やることはそれこそ無限にあるのでたいへん名残惜しいのですが、タイムリミットが来てしまいました。旅行者のみなさんと疲れを労いました。「お疲れさまでした。お先に失礼します」。

ーーーーーーー

 旅行代理店との契約は7.5泊(うち1泊は休憩時間)だったためようやく今回の図書館旅行が終わりました。いかがだったでしょうか。実際に思っている以上にめんどうな旅行先だという感想を持たれる方もいるでしょうか。冒頭でお断りしたように今回の旅はほんの一例にすぎません。ここに書いた以外にぼくが体験した旅行はひとつとしておなじ一日はありませんでしたし、個々の作業行程を省略したところすらあります。そしてこれがだいじなのですが、世界にはまだまだ個別具体的な旅行先の悲惨があるのです。都内旅行者で言えばその非正規化は彼/女らの実家暮らし化を前提とし、反抗心の去勢化をも導きます。独り暮らしをしたとしてもまた非正規の不安定さが抵抗の無化を招来するでしょう。構造的な闘争の馴致が図書館旅行にはつきまとっていて、前述の旅行代理店の念書もそのひとつです。図書館旅行者とその理解者たちは図書館旅行者に女性がなぜこんなにも多いのか考えてみるべきです。能うかぎり真剣に「なぜ、なぜ、なぜ?」と。

     *

 ともかく旅行記はいったんここで終えようと思います。図書館に旅行するというのが具体的にいかなる意味を持つのか考えるために、あるいはこのクソッタレた世界を全く別様に生き始めるために、各人が各様に役立ててください。

 では、最後に今回の図書館旅行でかかった費用を発表します。8年いる先輩旅行客(非正規)の方も同じ額とのことでした。意外と安くすみました。f:id:matsunoyu:20180905024333j:plain
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ヴァジャイナ脱毛日記ー続編ー

あー、あ、放送席〜放送席〜

こちら本日のヒーロー、ヴァジャイナ脱毛を初体験、またVIO +脇のサイクルヒットも経験されたという◯さんにきていただいております。

 

先日ヴァジャイナ脱毛を初体験されたとのことですが、感想を伺っていいですか?

 

◯「たまたまです。」

 

あの、真面目におねがいします。

 

◯「そうですね。痛いところは痛いって感じですかね。思ったより恥ずかしさはそんなになかったです。恥ずかしさを感じる余裕がなかったって感じですか」

 

やっぱり痛いんですか?

 

◯「毛の濃いところが痛いですね、バチって電気が通る感じです。電気風呂って感じではないですけどね。Oライン、つまりおケツの穴の周りですけど、ものすごい痛いところがあって思わず「Ohhhh」って腰が浮きましたが」

 

痛そう…恥ずかしさを感じる余裕がないって言ってましたが…

 

◯「前に違う脱毛で行ってた時に隣の部屋で完全にヴァジャイナ脱毛をしてる人がいたんですが、今回同じ担当者だったんです。ヴァジャイナ専門なのかな?慣れてる方なんで「はい、Oライン剃りまーす」「足広げてくださいー」って上手にリードしてくれるんですよね。もう完全に身を任せちゃいました☆」

 

なるほど、ベテランの方なら安心ですね。

肝心のヴァジャイナ周辺はどうでした?

 

◯「脱毛の時って紙パンツに履き替えるんですが、ヴァジャイナ周辺はうまーく紙パンツで粘膜部分を隠しながらやるんですよ!だからヴァジャイナヴァジャイナはしゃいでましたけど、結局ヴァジャイナ箇所は見せなかったのでなんだつまんねーのって感じです」

 

そうなんですかー、もう大体聞きたい事はないんですけどなんか言い残した事ありますか?

 

◯「担当してくれた人がたまに「〜質の多いところやりますー」って言うんですがそれが「脂質」に聞こえて、ちょうど下腹部あたりだったのでこの人結構歯に衣着せぬタイプだなってサービス業にしてその根性すごいぞって感心してたんですけど、よく考えたらあれ「毛質」って言ってたのかな」

 

じゃあ最後にいつも応援してくれてるヴァジャイナのみなさんに今後に向けて一言お願いします。

 

◯「いつも熱い応援ありがとうございます。最近は干し柿に見えてきて益々愛着が湧いて来ました。これからも優勝に向けてがんばりますので応援よろしくお願いします。ヴァジャイナの夏はこれからです!!!!」

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ヴァジャイナ脱毛日記

「ヴァジャイナ脱毛、はじめました」

 

そう、冷やし中華でもなく、かき氷でもなく、冷感敷きパッドでもなく、はじめましたVIO脱毛!

 

注 ヴァジャイナはまんこの事なので本当はVIO脱毛、ハイジーナ脱毛だけどかっこ悪いのでヴァジャイナ脱毛と勝手に呼びます。

 

夏のボーナスの3分の1はヴァジャイナ脱毛で消えたよね、さようなら、散りされ、ちり毛とともに。

 

Vだけは前からやってましたが、ノリでIOも追加しちゃったわけです。

 

で、近日中にいよいよ初脱毛ででです。

その前に自己処理(脱毛箇所を自分で剃っていく)が必要なので自分で「全部」剃ったのだけど、今のところ素晴らしいとしか言いようがない。

チクチクするのが嫌だったけど全部根元まで剃ればチクチクしないし、超洗いやすいし、トイレも楽だし。なんで今まであんなに天然記念物のように鬱蒼と生やしていたんだろうか…と悔やまれる。

 

そしてこれが超重要だけど、自分のヴァジャイナをこんなに観察したのは初めてだ。

こんな形してて、こんなところにも毛が生えてたんだって自分の身体なのに全然知らなかった。

ペニーと違って隠れてる性器だからな。見る事ないんだよね。鏡越しに見るわけだけど結構複雑な構造かつぷにぷにでかわいいんです。

 

全国にヴァジャイナ脱毛をしてる人がどれだけいるかはわかんないけど、ああ今日もこの空の下どこかでヴァジャイナ脱毛の自己処理をしてる人がいるんだなと思うと涙が出てきますね。

 

さあ、いよいよ数人しか見せたことのないヴァジャイナを赤の他人に見せるのかー(あの脱毛時の辱めは何度やっても慣れない)

 

次回!ードキドキ💓ワクワク💓初めてのヴァジャイナ脱毛ー

 

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銭湯的コミュニズム、あるいは自然回帰水について

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 さして高さのない天窓から差し込む夕陽を大小さまざまの箱からたちこめる湯気が吸って淀んでいる。プラスチック製の桶がくすんだ色のタイルとの間でたてる乾いた音と備えつけの安いシャンプーのにおいが、熱すぎる湯とよく冷えた水風呂の絶えざる往還を包みこむここは東京・高円寺の銭湯、小杉湯である。

 名物のミルク風呂をはじめ日替わり風呂、ジェットバス、水風呂を備え駅から近いこともあってひとびとに好かれている。ぼくもかつて阿佐ヶ谷で居候をしていた頃によく通った風呂屋だ。
 小杉湯は「自然回帰水」と称する、水素水の親戚筋に当たるようなうさんくさい水を湯として使っていることが売りのひとつで、銭湯内のいたるところでそれはアピールされている。もちろんその効能を疑わず、あるいは半信半疑で湯船につかるのもそれはそれでよいことだろうと思う。しかし小杉湯に惹かれるのはそうした疑似科学的な道具立てのためではない。
 ではなにによってか? 端的に言ってそれはコミュニズムによって、である。

    *

 コミュニズムと耳にして即座にオーウェルの『動物農場』で描かれるような革命の規範化とその陰画としての反革命規定、あるいは強権政治と粛清その他、過去・現在のコミュニズム体制を想起しそれを非難するのはたやすい。同時にヒエラルキーを基にしたコミュニズムに代わるものとしてリベラルな言説を称揚し民主主義体制を言祝ぐのは最もありうる反応のひとつだろう。――しかし自由と民主主義の名の下になされた統治も同様に人びとを殺してきたのではなかったか。それは自由を標榜しながら結局は統治を呼び込む腹話術師の語りではないのか。

 もうよりよい体制をめぐって賢しらに言葉を費やすのはやめよう。たいせつなのは、体制としてのコミュニズムではなくいまここに生起するコミュニズムについて確認することである。
 デヴィッド・グレーバーはその複数の著作の中で繰り返し現にあるコミュニズムについて語る。いわくコミュニズムとは「いま現在のうちに存在しているなにかであり、程度の差こそあれあらゆる人間社会に存在するものなのだ」。たとえば、水道を修理しているときに誰かが「スパナをとってくれないか」と依頼したとする。その同僚は「かわりになにかくれるのか?」と応えることはない。それどころかかれは見返りを求めずスパナを渡すだろう。なんのことはない、常日頃目にするコミュニケーションの一例だが、これがグレーバーのいう「基盤的コミュニズム baseline communism」である。「各人はその能力に応じて働き、各人はその必要に応じて受け取る」というコミュニズムのあまりに有名な定式は資本主義社会でさえも見出されるのである(1)。

 銭湯ではそうした非互酬的なコミュニケーションが頻繁に出現する。ひとびとは誰に言われるのでもなく自分が使用した桶やシャンプーを使いやすいよう、もとあった場所にもどすのだが(2)、贈り物(munus)によって結合(cum)すること、これが銭湯では当たり前のこととして行われている。なぜそうしたコミュニズムが銭湯においては現われやすいの
かといえば、それは銭湯が私有の観念を束の間洗い流すからだろう。社会的な衣装を脱ぎ捨て裸でつかる湯はその場のだれのものでもない。あたりにたちこめる湯気だってだれにも所有されることはない。文明が強制してくる私有の観念は、常連のおじいちゃんがひとり湯船で気持ちよさそうに歌う歌とともに湯気の中に消え去るはずである(3)。

 ここで、かつて小杉湯のある高円寺を拠点に銭湯値上げ反対闘争があったことを銘記しておこう。矢部史郎と山の手緑はなぜ銭湯の値上げを阻止する闘争を行うのか、「なぜ銭湯なのか」を問われ次のように言う。

  私たちが若い銭湯利用者を対象にするのは、彼
  らがたいてい二万円代の住宅に住んでいて、そ
  のため、物事をクールに考えられるからです。
  クールというのは、支配的なイデオロギーから
  比較的自由だということです(4)。

 家賃の高いところに住むことはそのまましょうもない労働を続けなければいけなくなることを意味する。官僚制下の膨大で瑣末な体裁にこだわるペーパーワークやそれ自体無根拠な「社会人」の規範を絶えず再生産することでしか賃金が発生しないあの賃労働である。要するに家賃が高いと賃労働の必要度が高まり、比例して支配的な現実への信仰を強めることでしか生存を維持しづらくなるということだ。
 思い返せば、ぼくたちは文明や社会から心身をまるで小さな箱に押し込まれるようにして成型されてきた。碁盤の目のように並べられた机や学校、家でぼくたちは道徳的な善悪(倫理的なよい悪いではない)を教育されてきた。むろんその箱のなかで満足に生き死んでゆくひとたちがいて、自然回帰水を信じ充足する人と同様それはそれでよいことだ。た
だ、そこからどうしてもはみだしてしまう人びともまた厳として存在する。人びとは文明や社会と対置されるところの自然を生きずにはいられないのである(5)。

 銭湯にはそうした自然を生きる者たちを受け容れるだけの広さがある。言い換えれば、自然回帰水とは小杉湯だけにあるのではなく、基盤的コミュニズムの生い立つすべての銭湯とともにそれはあるのである。ただ、注意しなければならないのは回帰すべき自然があらかじめあるのではないということだ。回帰すべきアルケーがそれとして存在しているので
はなく、過去のある時点や「未開の」森のなかに自然が求められてはならない(6)。それは銭湯的コミュニズムを生き「物事をクールに考え」ることの実践を経過しなければならないのである。

 まるで浴槽から漏れ出す湯のようにして、箱から逃れる者たちの自然を生きること――この銭湯的コミュニズムは湯につかる者たちの微睡のあいまを縫って繰り返し現われるだろう。


註(1)デヴィッド・グレーバー『負債論―貨幣と
    暴力の5000年史』(酒井隆史・高
    祖岩三郎・佐々木夏子訳、以文社、201
    6・11)143頁。
 (2)李珍景は『無謀なるものたちの共同体―コ
    ミューン主義の方へ』(今政肇訳、イ
    ンパクト出版会、2017・2)のなか 
    で、ある空間を特定の人物だけに占有さ
    せるのではなく、他のひとたちも入ってき
    やすいものにするための実践として
    「領土性の痕跡を消す」ことを説いたが
    (343頁)、痕跡を残さないことは銭
    湯の基本的な所作のひとつである。
 (3)銭湯におけるこうしたコミュニズムがいわ
    ゆるスーパー銭湯では見出しづらいの
    は、そこが文明の論理で動いているからで
    ある。銭湯の何倍もの入浴料や刺青を
    しているひとびとの排除などを想起してほ
    しい。スーパー銭湯の「充実した」サ
    ービスの数々がカネ稼ぎの契機として機能
    していることを見るに、スーパー銭湯
    にあるサービスが「ない」と銭湯を欠如態
    で語るのを慎まなければならない。こ
    とは国家なき社会‐国家に抗する社会に関
    する叙述と相似である。
 (4)矢部史郎、山の手緑『無産大衆神髄』(河
    出書房新社、2001・1)14頁。
 (5)ミシェル・フーコー『真理の勇気』(慎改
    康之訳、筑摩書房、2012・2)で
    展開されるパレーシア論、とりわけキュニ
    コス主義的パレーシアを参照してもいいか
    もしれない。
 (6)レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』と自然
    への離脱を論じたものとして白石嘉治
    「現代思想レヴィ=ストロース『悲しき
    熱帯』からはじまる」(『上智大学仏語・
    仏文論集』、52巻、2018・3)参
    照。