孫悟空にはなれない

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完全手打ち多加水ラーメンの作り方

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みなさんこんにちは。

前回の記事をアップしてからだいぶ時間が経ってしまいました。その記事で書いたように、この間ぼくは仕事を休んで子育てをしていました。パートナーと一緒に取得した長期間の育児休業の様子や子どもの成長などは次回以降の記事でまとめようと思います。

今回は育児休業中にぼくが15㌔の粉と格闘して身につけた製麺の技術を備忘録がてらまとめました。パスタマシンや小野式などの鋳物製麺機を使わずに自分でラーメンを打ってみたいという方の参考になればうれしいです。

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用意するもの
・強力粉300g
・水適量
・塩3g
重曹3g
・オリーブオイル適量
・酒適量
コーンスターチ適量

・大きめのボウル
・キッチンスケール
・ふるい
・5キロの米の袋
・麺棒
・まな板と包丁


1 塩・重曹各3㌘を計量し、オリーブオイル少し、酒少しを加え、熱湯を加えて混ぜる。水を入れて150gになるようにする。
(オリーブオイルは八丁堀の七彩さんで入れていたのを参考にしました。酒は麺をつくるときに目標の1つにしたサッポロめんフーズの特力麺の香りを再現したくて入れています。オリーブオイルはつなぎと香り、酒は香りと保存性を高める意味がありそうです。)
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2 粉300gを計量し、ふるいにかける。
(このときふるいにかけてすぐに落ちていく種類の粉は柔らかい生地になりやすい気がします。粒が小さいからでしょうか。いまはよくわかりません。)

3 箸でかき混ぜながら、1の水をすこしずつ入れていく。
(「3回に分けて入れる」とするネット記事もありますが、僕の条件・技術だとどうしても大きなダマができてしまいます。)
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4 全部入れたら手で5分位かき混ぜる。
(ぼくは我流で下から上へ粉を舞わせるイメージでやっています。球体の透明な機械の中で紙でできたクジが空気の力で無数に舞っているあのイメージです。)
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5 手で20回くらい捏ねて玉にする。
(このあたりで生地に愛着が湧いてきます。)
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6 米の袋に入れて玉を踏む。
(愛着が湧いた生地を踏むなんてひどいとお思いになるかもしれませんが、ここはわが子のためを思って踏みます。)
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7 伸びた玉を折り返して踏む。6・7を2回繰り返したら、手を使ってボウルで玉に成型する。
(強い子に育ちました。)
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8 空気が入らないようにして、冷蔵庫でひと晩ねかせる。(育児の難関のひとつ、【寝かしつけ】です。)

9 翌朝、玉を足で踏んで伸ばす。
(まだ寝ていたいだろう子を起こして再度踏みます。ぼくも掃除機をかけたい母親に叩き起こされた経験が何度もあります。)
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10 伸びた状態の生地を15分放置する。
(ここでそのまま伸ばすと千切れがちな麺になりやすいです。ぼくも英語の内申点が悪いことを叱られたあと、次の日に問題集を買い与えられ、解くように言われたのを不満に思い、最寄りの川の河口まで自転車を走らせて問題集を塩味のする川の中に捨てにいったことがあります。叱るにしても立て続けに刺激を与えると子は反発するのかもしれません。共感と合意を軸に子の理解を待ってから、なにか助言なり働きかけをしたいものです。生地もいっしょです。)

11 まな板にコーンスターチで打ち粉をして生地を太い麺棒で伸ばしていく。
(はじめは麺棒を回転させるのではなく、生地の真上から麺棒を押しつけるように伸ばしていくと生地が壊れにくいそうです。生地から小麦や酒、オリーブオイルのいいにおいがします。)
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12 生地を2等分にする。小さい麺棒に切り替えて全体が均一な厚さになるように伸ばす。
(キッチンが広ければ2等分する必要はありません。)
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13 打ち粉を生地の両面にまぶし、蛇腹に折りたたむ。
(以前蛇腹ではなく、ロール状にして切っていたのですが、千切れやすい麺になってしまいました。これも理由はよくわかっていませんが、包丁を入れるときの圧力のかかり方が蛇腹のほうが均一なのかもしれません。)
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14 包丁に打ち粉をつけて切る。このとき、魚の平造りのように、切った直後に包丁を右に傾け、麺がくっつきづらいようにする。
(急に平造りなどと書きましたが、育児休業中に身につけた技術のもうひとつが魚料理の技術です。銀座渡利さんのYou Tubeを見て勉強・実践しました。おすすめです。)
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15 10㌢分切ったら麺の折りたたまれている部分を開き、できた束を掴んで、上から叩きつけるようにさばく。
(ようやく麺になりました。麺がくっつかずにできるとうれしい気持ちになります。)
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16 米の袋に出来上がった麺を重ならないように並べ打ち粉をして行き渡らせる。
(多加水麺なので打ち粉は多めがいいかもしれません。)
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17 袋の上下にキッチンペーパーを1枚ずつかまして乾燥剤にする。
(これもだれの真似をしたわけではないのですが、最近おうち麺TVさんでも同じように麺を保存している回があり、やっぱりそうだよねと思いました。)
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18 冷蔵庫で袋の口を開けて保管する。
(口を開けないと袋の中に結露ができて、麺同士がくっついてしまいます。くっついた麺は茹でてもおいしくならない傾向があるように思います。)

19 半日に1回くらい様子を見て、キッチンペーパーを取替える。袋の内側に結露がつかなくなってきたら袋を密閉して保管する。
(のれんを押し上げて「大将、やってる?」といった具合に、陽気に確認します。麺同士がくっつきそうな場合は打ち粉を追加するとともに、もうくっつくなよ、と言い含めます。)

20 2日ほど熟成させたら、茹でる前に麺をザルにあげ打ち粉を落とす。ちぢれ麺にしたければ、揉んでクセをつける。
(打ち粉が多いままだとスープがにごるのと、茹で溶けがしやすくなる気がします。)

21 たっぷりのお湯で茹でて完成
(緊張の時間です。茹で時間はだいたい3分くらいですが、長くても短くてもいけないです。でもだいたいいつも他の作業と並行して茹でているので焦ります。)
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慣れてくれば寝る前の小1時間で生地を玉状にして冷蔵庫に入れ、翌日これも小1時間で麺切りまで完了できるようになると思います。
はじめは面倒くさいけれど、回数を重ねると粉の種類、水・酒・オリーブオイル・重曹の量、卵を入れるかどうか、水回しの時間、生地のこね方、こねる時間、生地を寝かせる時間、寝かせる温度、生地の伸ばし方、生地の厚さ、打ち粉の量、生地の切り方、麺にしてからの熟成期間、手揉みでくせをつけるかどうか、茹でる時間、茹でたあと水で締めるかどうか、ラーメンかつけめんか、などなどさまざまな要因で違った顔を見せる麺作りのおもしろさが面倒くささに追いついてやがて追い越すようになります。自分が1から工夫を重ねて打った麺が美味しかったときの喜びはとても大きいです。

最後に材料についてこまごまとしたことを。
ラーメン用の粉は富澤商店で少ないサイズで買うことができます。10㌔まとめて買うならKT Food Labさんという愛知の会社が良心的な値段で売ってくれます(10種類選べて送料無料の4350円!しかも手書きメッセージカードも送られてくる!)。楽天などで見つかると思います。
塩と重曹はスーパーで買っています。ほんとうは蒙古王というかんすいを使いたいところですが、機会を逃しています。
他にはとくに特別な材料や調理器具は使っていません。

時間と気力と製麺への執着が人一倍あるぼくのような方はぜひ自宅で完全手打ちの多加水麺を作ってみてください。
Twitterではほかにもいろいろラーメンを作る様子を投稿していますので、暇つぶしに見てみてください。

おしまい。

https://twitter.com/sa2485/status/1372458750875856896?s=19

さて、家庭を持ってみて 2019

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 このブログを運営する私たちは、子どもができたので結婚することにした。子どもが産まれ育つ過程で法律婚していたほうが面倒が少なくなると思ったから役所に紙を3枚出しにいった。社会保障等を得るためにしたことだから「おめでとう」と言われても困ってしまうけれど、結婚したひとに向かっては世の中そう言うことになっているからそれも仕方ないだろう。日本人の輪郭をかたちづくっている戸籍制度内の手続きである結婚はしんどいが「おめでとう」と言われたらその善意を疑うことなく笑顔で「ありがとう」と応えるようにしてきた。
 また、結婚への反応と同じように、子どもができ、家庭を持ってみて、子どもを人類の未来を担うものとして政治的に特権視する「生殖未来主義」は天皇制と同じくらい支持されていそうだなとも思った(『現代思想』反出生主義特集(2019-11)の古怒田望人「トランスジェンダーの未来=ユートピア」や『思想』1141号のエーデルマン「未来は子ども騙し」、小泉義之「類としての人間の生殖」も参照するといいかもしれない)。特権的にイメージされる「子ども」を未来のためと称して搾取しない家庭や世界とはいかなるものなのか、答えはすぐでないとしてもしっぽくらいはつかめるよう育児をしなくちゃいけない、とも。

           *

 註釈を抜きに「家庭を持つ」などと書いたが、念頭にあったのは津村喬が1977年に発表した「さて、家庭を持ってみて……「ニューファミリー」幻想と消費の社会」(『 新日本文学』32(9)1977-9)という文章だ(近くの図書館に『新日本文学』の所蔵がなくてもその図書館が国会図書館デジダルコンテンツライブラリーというデータベースを契約していれば閲覧できるので興味があれば読んでほしい)。結婚して「家庭を持った」津村がおもに料理について書いた短いエッセイだが、そのなかに子どもを育て、料理をしていくにあたりキッチンに置いておきたい言葉がいくつかあったのでページ数を付して下に抜粋してみる。

・本来料理とか育児とかいうものは人生の大事であって、どうでもいいことでもなく、女たちにまかせて無関心でいていいことでもない。89頁

・人間はうまいものを食うべきだとぼくも思う。帝国主義内部の人間はもっとまずいものを食うべきだという議論には反対だ。われわれは他民族に寄生する民族にふさわしくまずくて危険な食生活を送ることにあいなっているので、インスタント食品、レトルト食品など工業食品(いわゆる工業卵、工場制畜肉、ハウス野菜もふくめ)を一切追放して、本当に豊かな農業を全人民の手で再建して、われわれのからだに合ったほんとうにうまいものを作っていくことを考えるべきなのだ。それが同時にムダをなくし、人類を構造的食糧危機から救う道でもある。
 そのためには、日本人の舌をマヒさせ、インチキ合成食品をはやらせてきた味の素文化と徹底的に闘わなければならない。90頁

・キッチンにいても、工業社会がギリギリのドタン場にきている中での人類の苦悩の全体がみえるはずだ。90頁

・好きな仕事にうちこむ、かせぐ、いいことだろう。だからといってそれが料理や育児を放棄する理由にはならない。もちろんそれは仕事をしている男にとっても同じことだ。この「戦場」への無関心は犯罪そのものだ。90頁

 津村は「創造的な、人間の本源にかかわる、自然とふれあえる行為」としての料理に育児とならんで言及しながら、そうした営為が「人類の苦悩の全体」を感じとらせるものとしてあると述べている。日々おいしいものをつくって食べているぼくは、国内外のキツい労働を経てスーパーにならぶ食材を買い、手を汚さずに動物を殺している(動物については生田武志『いのちへの礼儀』が勉強になった)。「日本人の舌をマヒさせ、インチキ合成食品をはやらせてきた味の素文化と徹底的に闘わなければならない」という箇所などは四谷三丁目の名店、一条流がんこラーメン総本家家元の一条安雪も言いそうだが、重要なのは、キッチンにいるだけで、あるいは近くのイトヨに行くだけで人類だけでなく人類外も含めたモノたちの苦悩が見えてくる、ということだ。
 ここで津村が料理と育児を並べているのはふたつが不可分だからだろう。妊娠中から胎児のために葉酸や鉄分を摂るようにしたり、産まれたあとには、母乳やミルクを与えるが、これらすべては料理そのものだ。体に合うものを作り、食べ、食べさせることの総体が料理なのだから。
 まだ育児ははじまっていないので実地にはわからないが、育児にも世界の苦悩の痕跡が垣間見えるのだろう。森永ヒ素ミルク中毒などは文明が育児にもたらしたことの最たる例としてよく覚えておきたい。

           *

 そうした「人類の苦悩」をともに考えるために、友人と料理を作るのもいいだろう。ほんとうはガス、水道などのインフラ=国家に頼らずに食べものを生産するところから食の自主管理をしなくちゃいけないのだけど、友人とともに料理を作ることもまたこの世界を生きるなかでたいせつなことを教えてくれる。
 津村喬は『ひとり暮らし料理の技術』(野草社、1980-7)という料理本でホームパーティーとそのレシピのために一章を割いている(9章「まつりとしての食事」)。先に引いたエッセイのなかで「人間はうまいものを食うべきだとぼくも思う」と書いていた津村は『ひとり暮らし』で、味の素が代表する工業的うま味が人々の味覚を破壊してしまうことを嘆いた後「うまいものを食う、とは、こうした倒錯と虚偽の世界をつきやぶって、まともに自然との対話を回復させようという、ごく控え目な要求にすぎない」(19頁)と記している。そしてこの「自然との対話を回復させ」るために津村はホームパーティーを提案するのだ。
 じぶんたちで材料を揃えて料理をつくると、外で売られている食事の多くがいかに不自然な味で塗りかためられているかよくわかる。そうした不自然な味が食べたくなって食べてしまうきもちもよく分かり、じっさい食べてしまうのだが、じぶんたちで料理をすることではじめてこの世界を批判的に味わう舌を育てることができるだろう。ひとりではわからないことが、ともに作り食べるとわかるときもある。なにより、料理をつくってみんなで食べることには固有のたのしさがあるのだ。
 ホームパーティーをするときのポイントは津村によれば以下の4つにある(271頁)。

(1)あまり金をかけない。金をかけすぎると次が続かない。
(2)人数を増やしすぎない。
(3)ホストが鍋前になりついて、話の相手もできないというふうなタイプの料理はなるべく避ける。
(4)なるべくみんなに参加してもらえるものがよい。

 ホームパーティーと言ってもホストが客をもてなすというような一般的なものとは全く別ものであることがわかるだろう。ふつうのホームパーティーでは金をかけた豪勢な食事をホストが用意して客がそれを食べるという主客の関係が固定されているものだが、津村のすすめるのはそうした集まりではない。「私作る人、ボク食べる人」がいまでも固定されている家は多いとおもうけど、ここでは作る人と食べる人が一致しているのだ。ぼくは、ほんの数回しか参加していないのでここで例に引くのも気が引けるのだけど、東京山谷での共同炊事が、炊き出しのイメージにありがちな野宿者たちが列をつくり食べものを受けとるという形式ではなく、野宿者たちとともに料理をつくりいっせいに食べる形式をとっていることに重なる理念がある。共同炊事とホームパーティーとはその生存との緊張度からして異なるのは間違いないのだが。
 さて、2月にやるホームパーティーの例として津村があげているラーメンのレシピを以下に記してみる。すこしながいけどよい文章なので読んでほしい。

 ラーメン、ギョーザに季節はないが、寒い時期にはこってりした中華風もいいだろう。そんなものでパーティなぞわびしいというかもしれないが、工夫しだいでいろいろにできる。
 豚の骨と鶏のガラでこってりしたスープをとっておく。三枚肉のブロックを加えて出しにするとなおよい。煮た豚は脂を水で流すようにして薄くスライスして豆板醤でそのまま食べてもいいし、スライスしたものを醤油とゴマ油で焼くと即席の焼豚になってラーメンの具にぴったりだし、一センチ半くらいの厚さの切り身にして、醤油、酒、砂糖、五香粉(または茴香八角)で豆腐くらいの固さまで煮込むと東坡肉になる。
 さて骨と脂身でスープをとる。ショウガとニンニクをみじんにし、ねぎも細かいミジンにし、中華ナベにゴマ油を熱して炒め、蝦米、豆鼓、蠔油、五香もここで加えてよく炒める。これをスープに合わせ、塩、醤油、コショウで味を整えて、スープはできあがり。
 具は簡単でいい。さっきの焼豚があれば、細切りにして一皿。炒めるときに腐乳(醤豆腐)をつぶしてまぜてもよい。コリアンダー(いんさい)を洗ってちぎり、山盛りにして一皿。
 めんはどこかの料理屋の手打ちのものか、はらしまの生ラーメンでも買ってきて、一玉を三つにほぐしておく。
 スープをストーブにかけ、ガスにはぐらぐら湯をわかし、めんをゆでていく。小さなお椀にめんをとり、具をのせ、好きなだけスープをかけてたべる。
 芝麻醤、豆板醤などを用意して好みで味を加えてもいいだろう。(273、4頁)

 この後には「これをやりだすとすぐ腹がいっぱいになるから、この前に酒をやりながらギョーザでも食おう」とギョーザのレシピが続くのだが、どうだろうか。ぼくにとっては読むだけでお腹がぐうと鳴ってしまう文章だった。がまんできず、11月のよく晴れた日に津村の政治的な著作と料理に関心があるだろう友人を誘ってわが家でホームパーティーをやることになった。
 ゲンコツ、背ガラという部位の豚骨と鶏ガラは肉のハナマサで買い(ぼくは肉はとても好きというわけではないがガラを揃えるためハナマサによく世話になっている。ガラは安い。鶏ガラなんて2キロで350円くらいだったとおもう)、シャーミという干しエビは新大久保の華僑服務社で見つけ、豆板醤などは家にあったもののほか調味料はスーパーで購入した。友人のひとりにはチャーシュー用に豚バラブロックを持参してもらい、もうひとりにはいっしょに下井草のサッポロめんフーズという製麺所に行き、とんこつラーメン用のめんを気の済むまでカゴに入れた。その際、参加者の負担が一定になるように、主旨を説明していくらかお金を出してもらった。
 家に帰ってきて、まずはギョーザを作った。材料も安くそろえて、野菜のみじん切りなど分担した。ギョーザはいい。包むのは技術があまり要らないからふだん料理しない人も料理に参加できる。子どもがある程度大きくなったらいっしょにギョーザを包んで料理の糸口にしたいくらいだ。
 豚と鶏をアク抜きして圧力鍋でほろほろにしたあと、強火でどんどん炊く。スープが濁りこってりしてくる。鶏と豚骨のにおいがキッチンに立ちこめる。
 そうしていると豚バラブロックをたのんでいた友人が遅れて到着したので、再びギョーザを食べた。ただ焼いたり、水溶き片栗粉で羽根つけたり、いろいろにしてハイボールで流し込んだ。熱いギョーザの油をウイスキーの香りをまとった冷えた炭酸がさらっていくこの組み合わせはほとんどサウナと水風呂の快楽に等しかった。
 友人にみじん切りにしてもらった長ネギ、ニンニク、ショウガをゴマ油でじゅうと炒め、お湯で戻した干しエビを戻し汁ごと加えて、豆板醤と五香粉をたっぷりふりかけた(豆鼓醤は用意していたのに入れ忘れた)。豚骨と鶏ガラのスープを漉したものと合わせ塩、コショウ、醤油で味を整えてスープ完成。エビの香りとうまみをまったりとした粘度の動物系スープが邪魔することなく包み、香味野菜と五香粉由来の八角が全体をひきしめている絶後のスープだった。
 買ってきためんをせっせと茹でては食べ、食べては茹でを繰り返し、四人で15玉くらい食べた。ギョーザ食べたあとなのに。
 ぼくはパクチーが苦手なので津村のレシピのようにコリアンダー山盛り一皿など用意しなかったが、かなりの完成度の津村ラーメンができた。友人たちにも好評だったが、それがお世辞ではないことがよくわかる味だった。
 この津村ラーメンで感心したのは、このレシピが上であげたホームパーティーのポイントをおさえているということだ。「スープをストーブにかけ、ガスにはぐらぐら湯をわかし、めんをゆでていく。小さなお椀にめんをとり、具をのせ、好きなだけスープをかけてたべる」というのは作る人と食べる人を分離させない知恵だった。今回は参加者の一人が妊婦だったので、ギョーザ包む作業など負担がかからない範囲で手伝ってもらったが、たいへん楽しそうでよかった。「能力に応じて働き、必要に応じて受けとる」ホームパーティー?だったように思う。
 ただ楽しいホームパーティーしているだけでは、よくてガス抜きにしかならない。しかし「人類の苦悩」を感知し、別様な生を生きたいと願うものたちが集団性をかたちづくるときに料理をつくり、ともに食べる営みは不可欠だ。
 害悪に満ちているかに思われるこの世界に新たに産み落とされる存在を育てながら、わたしたちは料理の実践をつづけてみよう。

自殺と反日ノート

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 もういやだ。私は日々のうのうとなるべく楽しく生きている。でもまさにそのとき入管では国家によって「外国人」が殺されており、在日〇〇人たちを前に私は入管体制そのものとして現れている。津村喬が『戦略とスタイル』他で書いたことは現在の私をつよく撃つ。外国人技能実習生の問題にしてもそうだ。市民生活=「俗なる風」は植民地主義によって成り立っている。
 かといって差別者たる私はなにもしていない。運動らしい運動をしていない。運動は大切だ。でも運動したからといってなにかが変わるわけではない。もちろんすこしは変わるけれど。一切の皮肉なく運動をしている人たちを尊敬するが、私は疲れすぎている。運動にしても思想にしても展望が見えないから結局は現在の市民としての生活に安住してしまうのだろう。展望なんていつだって見えないものだということはわかっているのだが。
 凡庸な諦めが私を蔽っている。これは思想ですらない幼稚さだ。けっきょく私も現実を変えることができない無力を抱きながら老いるだけなんじゃないか、すこしばかり気の利いた文章を発表しても仲間内で無視/評価されるだけだという確実な展望が私を支配している。
 じぶんだけが幸せに生きるのはその能力はべつにしてむずかしくない。国家と資本制を肯定し、強者として振舞えばいい。世の中はそうした生き方をしやすいようにできている。でもできない。そんな生を生きるなら死んだほうがマシだから。
 運動らしい運動は今後もしないかもしれないしするかもしれない。しかし死んだほうがマシな生を前にしたときに即座に身体=頭を動けるようにしておきたい。以下はそのためのノートだ。だからあなたが読んでもおもしろくない。保険をかけるわけではなく、掛け値なしにおもしろくない文章だとおもう。それでも公開するのは、ただ仲間を増やしたいからだ。跳躍するときはつねに独りなのだけれど、仲間がいると跳びやすいのだ。

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  われわれの握手の、掌と掌のあいだには血が滲んでいる――堀田善衛「上海にて」(1)

 事実の確認からはじめよう。以下は堀田善衛「上海にて」からの引用である。

  かつて、この喫茶店の前の通り、ほんのひとに
 ぎりしかいなかったフランス人が、わざわざパリ
 ーからマロニエの木をとりよせて並木にしたとい
 われる通りで、それは私が一九四五年に上海に到
 着してから一週間目くらいの頃のことであった
 が、ここで私は、私にとっての一つの事件にぶつ
 かった。それは次のようなものだった。
  あるアパートメントから、洋装の、白いかぶり
 ものに白いふぁーっとした例の花嫁衣裳を着た中
 国人の花嫁が出て来て、見送りの人々と別れを惜
 しんでいた。自動車が待っていた。私は、それを
 通りの向い側から見ていた。すると、そのアパー
 トの曲り角から、公用という腕章をつけた日本兵
 が三人やって来た。そのうち一人が、つと、見送
 りの人々のなかに割って入って、この花嫁の、白
 いかぶりものをひんめくり、歯をむき出して何か
 を言いながら太い指で彼女の頬を二三度ついた。
 やがて彼のカーキ色の軍服をまとった腕は下方へ
 さがって行って、胸と下腹部を……。私はすっと
 血の気がひいて行くのを感じ、よろよろと自分が
 通りを横断していると覚えた。腕力などというも
 のがまったくないくせに、人一倍無謀な私は、そ
 の兵隊につっかかり、撲り倒され蹴りつけられ、
 頬骨をいやというほどコンクリートにうちつけら
 れた。
  私は元来のろくさい男だ。ものごとがわかるに
 ついても、ぱっとわかるという具合には行かな
 い。のろのろとしかわからない。そのくせ、ある
 いは、だから、自分でわかったと思うことを過信
 する傾きもないではない。撲り倒され蹴りつけら
 れて、やっと、あるいはしだい次第に、”皇軍”の
 一部が現実に(原文傍点3字)、この中国でどう
 いうことをやっているかを私は現実に理解して行
 った。倒されたまま私はなかなか起き上ることが
 出来なかった。上海に来る前に、私は肋膜を病
 み、その旧患部を……兵隊たちはゴム足袋をはい
 ていたが……蹴られたこともあった。その場の中
 国人たちが花嫁ともどもに私を助け起してくれ
 て、アパートの一室へつれ込んでくれた。
  あのときの花嫁は、恐らく一生を通じて、あの
 晴れの門出のときに、かぶりものをまくりあげら
 れ、頬をこづかれ、また乳と下腹部をまさぐられ
 た経験を忘れないであろう。たとえあの兵隊自身
 にはそれほどの悪意はなかったにしても……とい
 うのが、私にとっての一つの出発点であった。
 (2)

 堀田善衛は1945年春の上海で右を体験した。結婚式という目的の継続のためには憲兵にへらへらと冗談のひとつもいいながら国家の暴力を前提とした女性差別をやり過ごす道も通俗的には残されていた。しかし堀田にはそうすることができなかった。ある目的を達成するためになされるのではない非主意主義的な抗い――ゴールを定め、それに向かって主体的・意識的に前進してゆくような戦いとは異なる闘い――がここで重要なのではない。銘記すべきは、この挿話の裏に中国人民が日本臣民から経験させられた幾千の侮辱が隠れている、という厳とした事実である。
 堀田善衛は傑作『時間』で日本軍による南京大虐殺を中国人の視点から描ききった。加害を見つめるにあたって被害者の眼を通じて、しかも加害者の末裔たる日本人作家がなした『時間』のあらすじを私はいま書くつもりはない。歴史の浅層をさらってゆく学びが悲惨を捉えきらないどころかそれを違ったかたちで把捉し理解の輪を閉じてしまうように、要約は『時間』の真摯さにはそぐわないからだ。私にできるのはただ作品の只中に身をおいてそれに深層からの共鳴を試みることだけである。
 語り手の陳英諦は妻を強姦され、子を殺されたのち自らも虐殺されかけるが、同胞たちの骸の間を縫って生き延びることができた。以下は英諦の日記に現れ、英諦が幻視した事実である。

  八月五日
  ちょっとでも気を許すと非道いことになる。昨
 夜怖ろしい夢を見た。そして夢の大部分は事実な
 のだ。日軍にさらわれて軍夫として荷を担ぎ、車
 輛をひかされて放浪して歩いた時、某所で日兵が
 娘を輪姦した。娘は、顔に糞便を塗り、局部には
 鶏血を注いで難を逃れるべく用意をしていた。け
 れども、日兵たちも、もはや欺かれはしなかっ
 た。彼等は娘に縄をつけてクリークに投げ込み、
 水中で彼女がもがくのを喜び眺めた。やがて縄を
 ひいてひきずり上げた。糞便も鶏血もきれいに洗
 い落とされていた。わたしは荷車に電線で縛りつ
 けられていた。事おわってから、兵のうち一人
 が、
 『いいじゃないか、お前も一挺やらぬか』
  と云った。
  その兵の顔は、用を済ませた獣と永遠に不満な
 人間との中間が、どんな顔つきのものであるかを
 明らかに示していた。失神した少婦は、失神によ
 ってまことに人間らしかった。しばらく後、小婦
 には冷水がかけられ、……。
  夢では、この小婦の枕頭に、うなだれた、たて
 がみの長い白い馬を視る。その馬の、瞠いた巨大
 な眼。
  つけ加えて云っておかねばならぬことがある。
 この淫蠱毒虐な景色からほど遠からぬところに、
 二人の年老いた農夫がいて地を耕していた。二人
 は傍目もふらずに働いていた。一鍬一鍬、頭上高
 くふりあげて規則正しく地にうちこんでいた。一
 鍬、一鍬、彼ら二人がどんなに深く強く我慢をし
 ているかが、眼に見えた。(3)

 この夢と現実が区別されなくなるような極限の苦境、日本による侵略によってもたらされた「殺、掠、姦」(4)を文学として結実させた堀田の功績はあまりにも大きく、〈この私〉は改めて堀田の文学を論じなければならなくなるだろう。
 しかしここでは1955年の『時間』からおよそ20年を経て開始された闘争をみておきたい。なぜならそれこそがなにごとにつけ曖昧な〈この私〉を倫理的に賦活してくれると信じるからだ――。

    *

 この大日本帝国による加害をみつめることから出発したのが、東アジア反日武装戦線であった。1974年から三菱重工をはじめとする連続企業爆破事件を起こした彼/女らが最初に爆弾による行動の標的として定めたのが南京大虐殺の責任者松井石根が建立した興亜観音と殉国七士像であったことを想起しつつ(5)、次の文章を読んでみよう。

  さて、以下に東アジア反日武装戦線“狼“はいく
 つかの問題を提起し、日帝打倒を志す同志諸君と
 その確認を共有したいと思う。
(1)日帝は、三六年間におよぶ朝鮮の侵略、植民
 地支配を初めとして、台湾、中国大陸、東南アジ
 アなども侵略、支配し、「国内」植民地として、
 アイヌモシリ、沖縄を同化、吸収してきた。われ
 われはその日本帝国主義者の子孫であり、敗戦後
 開始された日帝新植民地主義侵略・支配を、許
 容、黙認し、旧日本帝国主義者の官僚群、資本家
 共を再び生き返らせた帝国主義本国人である。こ
 れは厳然たる事実であり、すべての問題はこの確
 認より始めなくてはならない。
(2)日帝は、その「繁栄と成長」の主要な源泉
 を、植民地人民の血と累々たる屍の上に求め、さ
 らなる収奪と犠牲を強制している。そうであるが
 ゆえに、帝国主義本国人であるわれわれは「平和
 で安全で豊かな小市民生活」を保障されているの
 だ。
  日帝本国における労働者の「闘い」=賃上
 げ、待遇改善要求などは、植民地人民からのさら
 なる収奪、犠牲を要求し、日帝を強化、補足する
 反革命労働運動である。
  海外技術協力とか称されて出向く「経済的、技
 術的、文化的」派遣員も、妓生を買いに韓国へ
 「旅行」する観光客も、すべて第一級の日帝侵略
 者である。
  日帝本国の労働者、市民は植民地人と日常不断
 に敵対する帝国主義者、侵略者である。
(3)日帝の手足となって無自覚に侵略に加担する
 日帝労働者が、自らの帝国主義的、反革命的小市
 民的利害と生活を破壊、解体することなしに、
 「日本プロレタリアートの階級的独裁」とか「暴
 力革命」とかをたとえどれほど唱えても、それは
 全くのペテンである。自らの生活を揺ぎない前提
 として把え、自らの利害をさらに追求するための
 「革命」などは、まったくの帝国主義反革命
 ある。一度、植民地において、反日帝闘争が、日
 帝資産没収と日帝侵略者への攻撃を開始すると、
 日帝労働者は、日帝の利益擁護=自らの小市民生
 活の安定、の隊列を組織することになる。
(4)日帝本国において唯一根底的に闘っているの
 は、流民=日雇労働者である。彼らは、完全に使
 い捨て、消耗品として強制され、機能づけられて
 いる。安価で、使い捨て可能な、何時でも犠牲に
 できる労働者として強制され、生活のあらゆる分
 野で徹底的なピンハネを強いられている。そうで
 あるがゆえに、それを見抜いた流民=日雇労働者
 の闘いは、釜ヶ崎、山谷、寿町に見られる如く、
 日常不断であり、妥協がない闘いであり、小市民
 労働者のそれとは真向から対決している。
(5)日帝の侵略、植民地支配の野蛮に対して、多
 様な形態で反日帝闘争が組織されている。タイに
 おいては「日貨排斥運動」、「日本商品不買運
 動」という反日帝の闘いが導火線となり、タノム
 反革命軍事独裁政権を打倒した。韓国において
 も、学生を中心に反日帝、反朴の闘いが死を賭し
 て闘われている。しかし、過去一切の歴史がそう
 であった様に、われわれはまたもや洞ヶ峠を決め
 込んでしまっている。ベトナム革命戦争の挫折と
 われわれの関係においてもまた然りである。日帝
 本国中枢におけるベトナム革命戦争の展開ではな
 くて、「ベトナムに平和を」と叫んでしまう。米
 帝の反革命基地を黙認し、日帝ベトナム特需で
 われわれも腹を肥やしたのである。支援だとか連
 帯だとかを叫ぶばかりで、日帝本国中枢における
 闘いを徹底的にさぼったのである。ベトナム革命
 戦争の挫折によって批判されるべきはまずわれわ
 れ自身である。
(6)われわれに課せられているのは、日帝を打倒
 する闘いを開始することである。法的にも、市民
 社会からも許容される「闘い」ではなくして、法
 と市民社会からはみ出す闘い=非合法の闘い、を
 武装闘争として実体化することである。自らの逃
 避口=安全弁を残すことなく、”身体を張って自
 らの反革命におとしまえをつける”ことである。
 反日武装闘争の攻撃的展開こそが、日帝本国人
 唯一の緊急任務である。過日、地下潜行中の某人
 が公表した文章に見られる待機主義は否定しなく
 てはならない。
(7)われわれは、アイヌモシリ、沖縄、朝鮮、台
 湾などを侵略、植民地化し、植民地人民の英雄的
 反日帝闘争を圧殺し続けてきた日帝反革命
 略、植民史を「過去」のものとして清算する傾向
 に断固反対し、それを粉砕しなければならない。
 日帝反革命は今もなお永々と続く 現代史その
 ものである。そして、われわれは植民地人民の反
 日帝革命史を復権しなければならない。
  われわれは、アイヌ人民(彼らがアイヌとして
 闘いを組織する時、日帝治安警察は、在日朝鮮人
 に対すると同様、外事課がその捜査を担当してい
 る)、沖縄人民、朝鮮人民、台湾人民の反日帝闘
 争に呼応し、彼らの闘いと合流するべく、反日
 の武装闘争を執拗に闘う”狼”である。
  われわれは、新旧帝国主義者植民地主義者、
 帝国主義イデオローグ、同化主義者を抹殺し、新
 旧帝国主義植民地主義企業への攻撃、財産の没
 収などを主要な任務とした”狼”である。
  われわれは、東アジア反日武装戦線に志願し、
 その一翼を担う”狼”である。(6)

 私たちの大多数は天皇を頂点に戴く (新)植民地主義の協力者=帝国主義本国人である。東アジアでは日本の侵略に対する反日武装闘争が闘われており、また、加害者の末裔たる東アジア反日武装戦線の彼/女らがそれを肯んじない以上、東アジア人民への呼応はほかならぬここ日本国内における武装闘争によって開始されなければならなかった。
 東アジア反日武装戦線三菱重工を爆破した際に8名が死に、380名が負傷したことはよく知られており、同じく、これをかけがえのない人命を顧みないゲリラによる無差別テロと書きたて、オウム真理教による地下鉄サリン事件に等しい罪だと断罪するのがジャーナリズムの習いである。しかし彼/女らは東アジア人民の命が虐げられていることに「おとしまえをつける」ために立ち上がったのであり、――計画が綿密さを欠いていたことは事実にしても――無差別な殺傷の意図はなかったことは明らかである(7)。また、鵜飼哲が言うように「サリンは人しか殺せないけれども、爆弾は物だけ壊すこともできる」のだ(8)。この意味をよく考えねばならないだろう。〈この私〉がなさければならないのは、「爆弾テロによる闘争は、無関係の人びとを巻き込んだという意味でそれが批判する帝国主義者とおなじことをしてしまっている」などと安全圏から志の低い批判を投げつけることではない。
 それでも日帝本国人の右翼的、あるいは左翼的口吻からは、三菱重工爆破事件以前に東アジア反日武装戦線天皇とその近傍を殺そうとしたではないかとの声がもれ聞こえてくる。あるいはある意味で当然の問いとして、「爆弾による天皇暗殺では天皇制は存続あるいは強化され、後には弾圧の嵐が控えているのではないか」、と。
 “狼”の大道寺将司は、松下竜一の問いに次のように答えている。

 「仮りに天皇暗殺に成功したとしても、それは皇
 太子の即位を早めるだけのことであり、むしろそ
 のあとに吹き荒れる戒厳令的状況はすさまじいこ
 とになるでしょうが、そこらのことをあなたはど
 う考えていましたか」
  私(筆者)の質問に大道寺将司は獄中から次の
 ように答えてきた。
 「天皇暗殺が即天皇制の廃絶につながらないこと
 は承知していました。また、これだけ官僚機構が
 発達していると、頂点の者を倒しても、すぐ別の
 者がとって代っていくということはよくわかって
 いる訳です。
  しかし、天皇ヒロヒトの場合、”たまたま天皇
 の地位にいる”というのではありません。ヒロヒ
 トの戦争犯罪というのは極めて大きいものがあり
 ます。特別な立場に立ってきたと思うんです。か
 つて皇軍に侵略された東アジアの人びとは、天皇
 ヒロヒトへの怒りを忘れていません。ぼくらはそ
 れを軽視したり、知らぬ顔をすることはできない
 と思いました。そして、天皇戦争犯罪を具体的
 に剔出(原文ルビ=てきしゅつ)することはタブ
 ーであるかの如き傾向がありましたから、逆にど
 うしてもやらなくてはならないのだと思ったので
 す。
  また、天皇暗殺が天皇制廃絶ではないにして
 も、天皇制廃絶をめざしつつ、天皇を、然も東ア
 ジア人民の怨嗟の的であるヒロヒトを打倒しない
 というのは、ごまかしだと思います。”戒厳令
 のような状況”の到来ということは当然考えまし
 た。”左翼狩り”が徹底的に行なわれると思いまし
 た。しかし、それはそれだけ矛盾を顕在化させ、
 激化させることじゃないでしょうか? とした
 ら、それはむしろ望むところなんじゃないでしょ
 うか?
  何故この国では反権力の闘いが持続しないの
 か、ということを話し合いました。たしかに、少
 数の闘いはあります。しかし大衆的には持続しな
 い。それは天皇イデオロギーに圧倒的に浸され
 ているからであり、また暖衣飽食の中で闘う相手
 を見失っているということを考えました。
  そうであればこそ、天皇を攻撃することは必要
 なのだと」(9)

   *

 爆弾による天皇の暗殺、これを桐山襲パルチザン伝説』の父子は熱望した。東アジア反日武装戦線のメンバーや加藤三郎をモデルとしたらしい語り手の〈僕〉が、父の戦友=Sさんの手記を連合赤軍の元メンバーらしき兄に向けて送るという構造のこの作品は、その大部分が〈僕〉による闘争ではなく、アジア・太平洋戦争末期における父の爆弾――大逆事件で死刑になった宮下太吉の作った爆弾と同型のそれ――を用いた闘争を描くことに費やされる。
 父はSさんの作った爆弾を使ったある企図を語る。すなわち、「自分たちの国に解放をもたらすためには、まず自分たちの国に敗北をもたらさなければならない。それは一日も早くしなければならない。そして、日本に敗戦をもたらすためには、間もなく開始されようとしている米軍の焦土作戦に呼応して、日本国内から武装闘争が始められなければならない」(10)というのである。この闘争は「日本を除くすべての東亜の民衆から」「歓呼で迎えられる」(11)はずのものであり、その第一の爆弾は空襲警報のさなか、省線Y線のS駅で車庫に止まっている機関車を爆破した。しかし、父の真の企図は明らかに、天皇暗殺とそれに伴う戦争の継続、そして、支配者を温存したままの「終戦」を根底的で壊滅的な「敗戦」へと転化させることにあった。「東亜の大地という大地、海という海を屍でいっぱいにし、なおかつこの国の敗戦に当って自ら生きのびようとしている男、地の底の王・或いはあの男に向けて、それ(原文傍点)は投ぜられねばならない」(12)。1945年8月14日、父は近衛師団のM大尉を通じて皇居内部へ侵入し、爆弾を炸裂させたが目的は達成されず、「この国のすべては元通り」(13)であった。
 それから約30年後の1974年8月14日、父の闘争を引き継ぐかのように、〈僕〉たちのグループは「首都の真中にある奥深い森のなかに棲んでいるあの男への、大逆」(14)を計画する。厳重な警備下の皇居に暮らす天皇を討つために彼らが選んだのは、那須御用邸からの復路、荒川鉄橋上に爆弾を設置し、御召列車ごと天皇を爆破するという作戦であり(Sの最初の爆弾が機関車を爆破したことを想起しよう。インフラ=国家の破壊)、爆破前日まで周到な準備を重ねてきた彼/女たちの計画は完璧に思われた。しかし、8月13日の深夜に起ったとある出来事によって、彼/女らの爆弾はその役目を果たすことなく、回収されてしまったのである(15)。

  だが――車から荷物をおろし終えてみると、ど
 うも様子がおかしい。いつもとは明らかに雰囲気
 が違っている。……僕たちは誰が指示するともな
 く、その場で待機する姿勢になった。やがて、眼
 が闇のなかで自由になっていくにつれて、少なく
 とも四人の男が、前方の叢の陰から僕たちの様子
 を窺っているらしいことがはっきりとしてきた。
 彼我の距離はおよそ三〇メートルもあろうか。最
 初、僕たちは例の痴漢だろうと考えて、その場に
 腰を下ろして待つことにした。けれども二〇分近
 くたっても、彼らは動こうとしない。そのうち彼
 らはゆっくりと散開し、一人が一五メートルほど
 の所まで近づいて来たかと思うと、もはや隠れよ
 うとするでもなく、堂々とこちらを眺めている。
 その男は機動隊の隊員を思わせるようなガッシリ
 とした体格で、どうもいつもの”夜の兵士”とは雰
 囲気が違う。――そのうち、その男は下の場所に
 戻ったかと思うと、同じような体格をしたもう一
 人の男が、今度は横から近づいて来てこちらを窺
 っている。……
  この状況を打開するために、僕たちはまず、男
 女一組がアヴェクを装って下流の方に歩きかけて
 みたが、この囮には一向に飛びつく気配がない。
 止むを得ず、三名が武器を手にして散開しようと
 すると、向こうはさらに散開して、なかなか見事
 に僕たちを包囲する態勢を取りつづけている。勿
 論、相手の一人か二人を撃破することが目的であ
 ったのなら、こちらは内線作戦によって敵を各個
 撃破すれば良いのだが、僕たちには余りに重大な
 任務が残されているのであり、敵の一部分を打倒
 したところで、残っている者に騒がれれば元も子
 もなくなってしまう。おまけに、彼ら四人の背後
 には、もっとずっと多くの人間が隠れているよう
 な、ただならぬ気配さえ感じられてくる。……
 (16)

 天皇を爆破しようとした〈僕〉たちの前に現れ、天皇暗殺=虹作戦を決定的に頓挫させた正体不明な男たちのこの不即不離なあらわれ――これこそが天皇制である。この現実を包括的に浸潤しているのだが限りなく抽象的で、かつ決してその姿を判然とさせないが、たしかにこの世界を規定しているもの。右翼のみならず左翼を自称する者までをも巻き込みながら遍在し、まるで自室の扉を開けると法廷へとつながっているあの文学のように隣接する不可視と可視のあわいに漂うもの。そこでは「自由に」振舞うことが許されているが、けっして「出口」がない。
 であれば、問題は〈この私〉はなにをなすのか。なにをなしてよく、なにをなしてはいけないと考えるのか。すなわち〈この私〉はいかなる「出口」を欲望するのか、である。

   *

 冒頭に引いた堀田善衛『時間』が被害と加害の視点の入れ替えを行った稀有なる先駆であることはすでに書いた。そして、2010年代の窒息しそうな状況下、『時間』に触発されるかたちで辺見庸は『1★9★3★7』を発表し、執筆の理由を次のように述べた。

  ではなんのために本書を著したのか。それは、
 こうだ。わたしじしんを「1★9★3★7」とい
 う状況(ないしはそれと相似的な風景)に立た
 せ、おまえならどのようにふるまった(ふるまう
 ことができた)のか、おまえなら果たして殺さな
 かったのか、一九三七年の中国で、「皇軍」兵士
 であるおまえは、軍刀をギラリとぬいてひとを斬
 り殺してみたくなるいっしゅんの衝動を、われに
 かえって狂気として対象化し、自己を抑止できた
 だろうか――と問いつめるためであった。おまえ
 は上官の命令にひとりそむくことができたか、多
 数者が(まるで旅行中のレクリエーションのよう
 に、お気楽に)やっていた婦女子の強姦やあちら
 こちらでの略奪を、おい、おまえ、じぶんならば
 ぜったいにやらなかったと言いきれるか、そうし
 ている同輩を集団のなかでやめさせることができ
 たか――と責問するためであった。みなが声をそ
 ろえてうたう”あの歌”を、おまえだけがうたわず
 にいられたか、みなが目をうるませてうたったあ
 れらの歌を、おまえだけが心底、嫌悪することが
 できたか、おまえは「1★9★3★7」にあっ
 て、「天皇陛下万歳!」とひと声もさけばずにい
 ることができただろうか――と自問するためであ
 った。さらには、精査すればおまえのなかにも知
 らずただよっていたにちがいない皇国思想や「精
 神的『機軸』としての無制限な内面的同質化の機
 能」(丸山眞男『日本の思想』)=「國體」に心
 づき、天皇ファシズムとのかかわりから「茫洋
 とした厚い雲層に幾重にもつつまれ、容易にその
 核心を露(原文ルビ=あら)わさない」(同)こ
 れらを「1★9★3★7」の実時間において析出
 できたか――と質すためであった。おい、おま
 え、正直に言え、感じとることも解析することも
 まるでできはしなかったのではないか、にもかか
 わらず、おまえは「皇軍」兵士だったお前の父親
 を、ただ一方的に、”骨がらみ過去に侵された他
 者”としてのみ無感動にながめていただろう――
 と、糺問(原文ルビ=きゅうもん)するためでも
 あった。(17)

次いで辺見は抵抗できない状態の中国人民を銃剣で突く刺突訓練を前に「かんにんしとくなあれ」と涙ながらに拒み、上官から激しく殴打されたひとりの新兵が居たことを記した後、以下のように述べる。

  そのとき、その場にあったら、わたしは「かん
 にんしとくなあれ」と言えたか、まったく自信が
 ない。たぶん、言えなかったろう。言わなかった
 だろう。わたしも〈これが戦争というものだ〉
 〈これは試練だ〉とじぶんを言いくるめて、銃剣
 をかまえて一個の人間の生体にむかい、目をつぶ
 り、ワーッとさけんで突っこんでいったか、ある
 いは、ツケ、ヌケ、ツケ、ヌケ!……と、運動部の
 合宿練習よろしく新兵にはげしいかけ声をかけて
 いただろう。(18)

 〈この私〉にも自信はない。不条理と感ぜられる物事に対しては怒り、悲しみ、反論し、行動を起こしてきたと思っている〈この私〉の反○○の所作のなかにはたして彼我の力関係や抗いの勝算を計量したうえでなされる狡知が潜んでいなかったと言い切れるのか。大西巨人神聖喜劇』における東堂太郎的な論理の使用を批判しておいて、その実、ひとまわりもふたまわりも小さい東堂として現実に対処していたのではないか。現在の世界であるいは戦時下の有無を言わさぬ状況において、大勢に反した孤立無援の抵抗を〈この私〉は行い得るのか。そしてこうした内省が、さして多くの人に読まれるとも思われない文章における自己弁護や醜い言い訳の類でないとどうして言えるだろうか――。
 天皇を後ろ盾にした皇軍兵士たちの存在は過去のものではない。天皇制はかたちを変えて敗戦後も継続されたし、国民から少なからぬ支持を得ている。そして周囲を見渡せば分かることだが、1945年に終わったことになっているあの戦争が再現されれば、進んで協力するだろう企業と「君の言っていることはよく理解できるが、それは現実的じゃないよ」と賢しらで消極的な翼賛を表明するはずの者たちであふれかえっているではないか。
 問いに答えず濁し、判断を未来に先送りしつつ、読者にも思考を要求することがこの手の雑文の凡庸な結語だが、〈この私〉は安易であるとの謗りを引き受けつつこう応えよう。
 天皇制の威光を頼みにした不条理、たとえば刺突訓練や強姦を命じられ、あるいは、それを目撃した小心な〈この私〉はそれを受けた相手からの危害を引き寄せるパレーシアを行使したうえで(19)、可能な限り抑圧者を殺すと同時に、被抑圧者を救い、自殺する、と。
 言うまでもないことだが、この自殺はヒロイズムと戦場での華々しい死から遠くはなれて行われなければならない。なぜなら戦争下における死は天皇制の磁場のなかでそれを維持する道具としての場所を占めているからである。1945年3月学徒兵として中国へ出征し、敗戦後10ヶ月の捕虜生活を送った戸井昌造は当時の自己の心理を以下のように分析している。

  ③はずかしいこと、みっともないことはできな
 いという気持――それは本来は人間的な気持なの
 だが、死に直面した戦場では、男らしくやるしか
 ないという「死の美学」みたいなものにたやすく
 変わってしまう。

  こうした意識を権力は一二〇パーセント利用し
 た。

  ④死に直面したときの恐怖心。それが、いざ実
 際に味方がやられると敵愾心とごっちゃになっ
 て、気が変になる。それが勇猛果敢な大和魂とい
 うふうに、すりかえられていった。「玉砕」とい
 う美しい言葉が意味していたのがそれであった。
 (20)

 〈この私〉の自殺は美醜への無関心を条件としなければならない。そして人は〈この私〉に問うだろう。「だが、そもそもなぜ自殺なのか。戦争犯罪を止めるのなら他に方法があるのではないか。自殺するのではなく生きて闘うことこそがあるべき責任の果たし方ではないのか」、と。そうかもしれない。しかし、抗命は手ひどい殴打や最悪、死を結果することになるだろう。そして殴打や死は他の皇軍兵士への見せしめとして恐怖を与え、さらなる罪業へと兵たちを駆り立てるはずである。そんな世に生きていても仕方がないではないか。
 東アジア反日武装戦線”狼”のメンバーは三菱重工を爆破し死傷者を出した後、全員が青酸カリのカプセルを持ち始めたという。それは死を賭して闘うためであると同時に、逮捕された際に権力に利用されないためであった(21)。
 〈この私〉が自殺にこだわるのも、権力に利用されたくないから、そして抑圧者を殺した自己を軍や法によって裁かれる前に自身の手で裁きたいからである。アジア・太平洋戦争下に生きる〈この私〉にとっての「出口」はここにある。
 同様に、与り知らぬうちに到来した生と、医療によって準備され囲繞されているであろう死がなんの疑いもなく蟠る現在の世界においても自殺は救済でありうる。スピノザが「自殺する人々は無力な精神の持ち主であって自己の本姓と矛盾する外部の諸原因にまったく征服されるものである」(22)と述べるものとは異なるように思われる自殺、”狼”の語彙で言えば自らの人生に「おとしまえをつける」自殺について、しかし〈この私〉はまだなにも知らない。
 〈この私〉が自殺についての思索――即断を避けながら、慎重になされなければならない何事か――を生涯を通じた当為として継続しなければならないということ、尋常でない息苦しさを日々肌で感じつつ、不確かで展望の失われたこの世界においてそのことだけは確からしく思われる。


(1)堀田善衛「上海にて」『堀田善衛全集12』、筑摩書房、1974・12、31頁。
(2)(1)、57-58頁。
(3)堀田善衛『時間』、岩波現代文庫、2015・11、159―160頁。
(4)(3)、64頁。
(5)現在、興亜観音のHPには次のようにある。「静岡県熱海市の一角、深い緑に包まれた伊豆山の中腹に、「興亜観音」と呼ばれる美しい観音様が立っておられます。 この観音様は、昭和十五年(1940年)二月、松井石根(まついいわね)陸軍大将の発願により、支那事変での日支両軍の戦没者を、「怨親平等」に等しく弔慰、供養するために建立されたものです。 現在では、大東亜戦争戦没戦士菩提碑(昭和19年)、大東亜戦争殉国七士の碑(昭和34年)、同殉国刑死一〇六八霊位供養碑(同年)も建立され、祀られております。このことにより、興亜観音は、大東亜戦争自衛戦争であることを明確にされたと考えております。 宗教法人 礼拝山興亜観音 支援組織 興亜観音奉賛会」http:www.koakannon.org
(6)『腹腹時計』vol.1、(東アジア反日武装戦線KF 部隊(準)『反日革命宣言 東アジア反日武装戦線の戦闘史』、風塵社、2019・1)所収。
(7)「一九七四年八月三〇日、日帝の中枢地区である三菱村の三菱重工本社前で炸裂した爆弾は、だが、攻撃すべきではなく、また、“狼“も攻撃することを意図してはいなかった通行人を多数殺傷してしまった。(中略)”狼”は通行人の殺傷を当初から目的としていたかのように書き、ダイヤモンド作戦の戦術的失敗を合理化してしまった」。東アジア反日武装戦KF部隊(準)『反日革命宣言 東アジア反日武装戦線の戦闘史』、風塵社、2019・1、32頁。
(9)平井玄・鵜飼哲 「難民の時代と革命の問い」『文藝別冊 赤軍1969→2001』、河出書房新社、2001・1、185頁。
(9)松下竜一『狼煙を見よ』、河出書房新社、2017・8、193―194頁。
(10)桐山襲パルチザン伝説』、河出書房新社、2017・8、60頁。
(11)(10)、69頁。
(12)(10)、113頁。
(13)(10)、134頁。
(14)(10)、18頁。
(15)この情景は1975年9月7日、獄中から「虹作戦 アジア人民の歴史的な憎悪と怨念は、私たち日帝本国人に、まず天皇ヒロヒトを死刑執行せよ、と要求している。」という文章のなかで大道寺将司が記した顛末とほぼ一致している。
(16)(10)35―36頁
(17)辺見庸『増補版 1★9★3★7』、河出書房新社、2016・2、19―20頁。
(18)(17)、216―217頁。
(19)フーコーは『真理の勇気』(慎改康之訳、筑摩書房、2012・2)のなかで次のように述べている。「人の気に入ることを語るのではなく真および善とは何かを語る人びとは、その言葉に耳を傾けてはもらえないでしょう。そればかりか、彼らはネガティヴな反応を引き起こし、苛立たせ、怒らせるでしょう。そしてその真なる言説によって、彼らは復讐ないし処罰の危険に晒されるでしょう」(48頁)。「気高い理由によって万人に逆らう人間は、死の危険に身を晒すということです」(同頁)。
(20)戸井昌造『戦争案内』、平凡社ライブラリー、1999・9、258頁。
(21)(9)、155頁。じっさい1975年5月19日の東アジア反日武装戦線メンバー一斉逮捕の際に”大地の牙”の斉藤和が服毒自殺し、のちに狼のメンバーではないが荒井なほ子と藤沢義美が自殺している。斉藤たちに並ぶ特異な自殺者としては第一に船本洲治の名を記しておかなければならない。
(22)スピノザ『エチカ 下』、畠中尚志訳、岩波書店、1951・10、29頁。

風景と海――『ガンバの冒険』論

f:id:matsunoyu:20190405222045j:plain
"海は見なければ想像できない" というのは本当だ
海はすごく大きいとか果てがないとか思っていても
言葉だけのことであって実際に海を見たらね…
 ――ドゥルーズ『アベセデール』


 かつてあの松田政男は『風景の死滅』のなかでこう言っていた。(1)

  中央にも地方にも、都市にも辺境にも、そして
 〈東京〉にも〈故郷〉にも、いまや等質化され
  た風景のみがある。私たちが、かりに津軽平野
  に広漠と連なるリンゴ園を見たとしても、それ
  は決して緑の森林としてではなく、しろくま
  らに汚れた農薬の撒布がただちに私たちの灰色
  の首都を連想せしむるていのものとしてしか映
  じないのだ。
  (中略)
 〈東京〉対〈故郷〉という図式は、六〇年代のど
  んづまりにおいては、ついに通用不可能となっ
  てしまったことを私たちは確認しなければなら
  ない。わが独占の高度成長は、日本列島をひと
  つの巨大都市として、ますます均質化せしめる
  方向を、日々、露わにしているのではないか
  。(2)

 〈東京〉とは、実は、巨大なるコピーの集積であ
  り、そしてかつてオリジナルなものとしてあっ
  た〈故郷〉とは、今日、巨大なるコピーのさら
  なるイミテーションとしてしか存在していない
  のだ。(3)

 松田が制作に携わった映画『略称・連続射殺魔』を見てほしい(4)。1968年の冬、4つの殺傷事件を起こした永山則夫が日本各地を遍歴する道程で目にしたであろう〈風景〉をつぶさに追っていくカメラには、たとえそこが網走呼人番外地であっても鉄道や道路=インフラが張り巡らされ〈都市〉への否応ない接続と模倣が映される。もはや〈都市〉と対比されるところの〈地方〉は姿を消している。
 そこに見出されるのはどこまでいっても都市、都市、都市、ただひたすらに都市である。

        *

 『風景の死滅』出版の4年後、斎藤淳夫・薮内正幸『冒険者たち――ガンバと十五ひきの仲間』(5)を原作としたテレビアニメ『ガンバの冒険』(6)が放映された。
 高度経済成長末期の〈風景〉、繁栄の裏で生産された都市の膿が幾筋も集まって形成された水路から2匹のネズミが現れる。画面に映されるのは首都高を思わせる立体交差式の道路であり、頑張り屋のガンバと食いしん坊で穴掘り名人のボーボが猫から追われて逃げ込んだ空き缶は都市へ/からの荷物を積んだトラックにはね飛ばされる。

ボーボ お腹はすくし、危ない目には遭うしもう帰
ろうよ。

ガンバ 帰りたかったら帰ってもいいぜ。オレはひとりでも行くよ!

ボーボ ほんとに、ほんとに海をひと目見たら帰るね?

ガンバ ああ、ひと目な、ひと目海ってやつをこの目で見たらな。

ボーボ ねぇねぇガンバ、海ってっと、どっどんなんかね?

ガンバ 知らないから行くんじゃないか。知ってたら行かないよ。

ボーボ そりゃまあそうだけど、きっきっきっきれいかね?

ガンバ うーん、かもね。

ボーボ おっおっきいかね?

ガンバ うーん、かもね。

ボーボ このまま海行けるといいなぁ。(7)

 ガンバたちは発泡スチロールの船で川を下り、海を目指すのである。
 港についたガンバとボーボはその夜、倉庫で開かれた船乗りネズミたちの宴に参加する。船乗りネズミを束ねる力持ちのヨイショ、物知りのガクシャ、のんだくれで詩人のシジンらと出会い楽しいひと時を過ごす。
 突如宴に深手を負った1匹のネズミが息も絶え絶えに入ってくる。夢見ヶ島から逃れてきた忠太である。シジン・ガクシャの介抱により息を吹き返した忠太は、白イタチのノロイをリーダーとするイタチの軍団によって島中のネズミたちが殺され自分も命からがら逃げてきたこと、背中の傷はそのときにできたこと、そして夢見ヶ島はいまやノロイ島と呼ばれていることを告げ、島の仲間を助けてほしいと船乗りネズミたちへ呼びかける。  
 はじめは島の惨状に同情し、夢見ヶ島へ赴く決意を固めた船乗りネズミたちだったがノロイの一語を耳にした途端怯み、倉庫から去って行く。ノロイはネズミが束になっても到底かなう相手ではなく、ノロイ島でノロイたちと闘うのは死ににいくようなものだからである。船乗りネズミたちの前でリーダーのヨイショに「七つの海を渡り歩いた俺だって手は出せねぇ」(第1話「冒険だ海へ出よう!」)と言わしめるのがノロイである。
 ノロイの名に恐れをなし冒険から降りたネズミたちを詰り、忠太と船に乗り込んだガンバは、ボーボ、ヨイショ、ガクシャ、シジンが忠太とガンバを見捨てきれず船に乗り込んでいたことを知り涙する。足の速さが取り柄で2つのサイコロを操る博徒イカサマも加わり、ガンバ、ボーボ、シジン、ヨイショ、ガクシャ、忠太、イカサマの7匹を乗せた船はノロイ島へ向けて解纜する。ノロイ島への路は負けるとわかりきっている旅である。しかし、ガンバの言うように「ただ海へ出てノロイに行けってしっぽがうずく」(第2話「ガンバ、船で大暴れ」)のだ。
 一行はイカサマの住む町へ赴いたり(第3話「忠太を救え! 大作戦」)、無人の戦艦で巨大魚に出くわしたり(第5話「なにが飛び出す? 軍艦島」)、キツネに襲われるリスたちを助けたり(第7~9話)、ボーボが1匹のリスに初恋をしたり(第8話「ボーボが初めて恋をした」)、海でイルカの背中に乗せてもらったり(第10話「かじって別れた七つのイカダ」)、人間の山岳ガイドに雪山で助けられたり(第15話「鷹にさらわれたガンバ」)と様々な道中が描かれるがそれは本稿では紙幅の関係上書くことができない――。ごく簡単にノロイ島へと上陸したガンバたちをみてみよう。顚末は以下の通りである。
 ガンバたちはオオミズナギドリのツブリたちの協力を得てノロイ島へと上陸する。島の仲間たちと合流し、抵抗を続けるガンバたちだったが遂に海に浮かぶ小島の洞穴に追い詰められる。狭い空間にネズミたちがひしめき合い、水と食糧が欠乏するなか仲間同士のいさかいが描かれ、ノロイによるネズミたちの分断――停戦の申し入れと宴の誘い――が仕掛けられる。ノロイの懐柔策を断ち切ったガンバたちは、島に伝わる民謡から潮の流れを読み、渦に巻き込ませることによってついにノロイたちを倒すことができた。かくして島のネズミは解放され、忠太と別れたガンバたちの新たな冒険への出発が印しづけられて物語は幕となる。

        *

 子供向けアニメなのに恐ろしく描かれすぎているノロイ(8)や仲間の凄惨な死と裏切りなど、この作品は大人にも訴えかけるものがあるなどと評されるのが常であるが、ある意味ではそれも当然の意見である。なぜなら『ガンバの冒険』は戦禍の蔭で繁栄を享受した大人たちに、第三世界への出立と革命、とりわけ党と国家の問題を見せつけるからである。
 ノロイへの抵抗は、ガンバたちの党が中心となりなされていく。岩山に砦を築くのもガンバであれば、そこからの出立を指揮するのもガンバである。途中まではガンバたちの指導に異議は出てこないが、追い詰められ飢えたネズミたちはガンバたち党へ不満を噴出させることになる。おまえたちはわれわれ島のネズミになにももたらさないではないか、と党に対して批判の声を上げ洞穴から出ようとするネズミたちにガンバは「勝手なまねはするな!」(第23話「裏切りの砦」)と制する。前衛党と人民の支配―被支配関係がまるで当然のことのように呈示されるのだ。
 ガンバたち7匹のパーティーのイデオローグであるガクシャは「諸君は頭を使わなくてすむ肉体労働を主にやってほしい」(第4話「嵐にやられてメッタメタ」)とまで宣う。島に至るまではガンバたち7匹の間で頭と肉体が分離され、島に着いてからは7匹と島ネズミたちの間で頭と肉体が分離されるのである。
 ガンバたち7匹の内部に伏在する統治への欲望は、ガクシャの発案でノロイ島上陸前に7匹の中でのリーダーを決めようとした際に如実に現れる。各自が一定期間リーダーを務め、しかる後正式のリーダーを決めようとするのだが、しかしそこではほとんどのネズミは集団を統率する力を行使しようと――頭になろうと――努め失敗する。普段は穏やかなボーボでさえリーダーを任された途端食糧を独占し分配を拒否するのである。
 最終的にはノロイ島を前にリーダーの不在を肯定する――「これからはリーダーというよりもわれわれ7匹がもっともっと力をあわせるということが必要だと思いますな」(第17話「走れ走れノロイは近い」シジンの台詞)――ものの統治への欲望は島ネズミたちへと向かうことになる。
 そしてこの党には女が不在である。
最期に追い詰められた洞穴で「女年寄りはかえって足手まといだ」(第25話「地獄の岩穴」、イカサマの台詞)と評価され穴の奥へと押し込められる女たちは子どもの世話や病人の看護を任される。こうしたバリケードの中の性別役割分業は、原作ではより直截に描かれるが(9)、女の抑圧は『ガンバの冒険』全体を底流するモチーフである。第1話でヨイショのパートナーのユリイは忠太の看護を任され港から7匹を見送るが、特別セリフは用意されず、ただ頬を涙が伝うだけである。船乗りネズミの宴でも女は彼女の他には登場しないのだ。描かれるネズミはと言えばケアする女――ユリイ――や男の目をひく容姿をした女――潮路やイエナ――だけである。ノロイ打倒の鍵となった民謡も女を欲望する男の歌ではなかったか(10)。
 こうした女不在の党は排除とヒエラルキーを基調とした国家=ノロイの鏡像となってしまうだろう。
 ガンバたちを前にノロイは手下のイタチに向かってこうささやきかける。「またまだころすな、いつでも殺せる、ゆっくり殺そう、楽しく殺そう、薄汚いネズミどもを」(第20話「白イタチノロイを見た!」)――。国家の統治に叛く薄汚いネズミたちは、国家の暴力によって「いつでも殺せる」。軍隊を動員すればこれまで島ネズミを虐殺してきたように、それは容易い。しかし国家というものが概してそうであるようにノロイは暴力のみに頼ることはしない。ノロイはネズミたちへと対話――「さあこっちへ来なさい。そこでは遠くて話もできない」――を持ち掛けるのであるし(第20話「白イタチノロイを見た!」)、あるいは前述のように、海の小島で飢えるネズミに向かって食糧の提供を約束するのだ。
国家権力とはただ単に物理的暴力の行使を意味するのではない。みなさんのためを思っていますよ、国家は国民のみなさんのためにあるんですよと笑みを浮かべて近寄ってくるのである。むろん、それで助かる悲惨もある。使える道具は使っておく方がよいのかもしれない。だが、それらは罠ではないと言い切れるのか。「ゆっくり殺」すための甘言にすぎないのではないか。
 また、ガンバたちはノロイの眼光によって催眠をかけられ体を傷つけられても気づかない(第20話「白イタチノロイを見た!」)。ノロイは国家の呪術的部分を、手下のイタチは国家の暴力をそれぞれ担うが、ノロイの呪術的性格は国家の象徴たる白への偏執にも現れているだろう。ネズミを切り裂き、噴き出た血が白百合にかかったのを目にしたノロイは激怒する。「おまえたちはこの世で一番美しい白い花を汚した。わかっているはずだな、白を汚したものはどうなるか」(第21話「涙にぬれた13の瞳」)。白を赤で汚した手下のイタチはノロイによって処刑されるのである(11)。
 そしてガンバの党が島ネズミたちから上がる声を制し、女の声はそもそも限定的にしか描写されないのと同じく、ノロイの手下は一言も言葉を発しない。また、女に固定的な役割をあてがうことはガンバたちの主観によっては国家を打倒するために必要なことであり、同時に女たちのためを思ってのことだろう。しかしそうした自己の無謬性への信頼と目的論こそが党に国家を映現させるのだ。党と国家の鏡像関係、国家を打倒する途上での党の国家化がここにある。
 冒頭で引いた松田政男は、こうも言っていた。

  風景は死滅し、そして死滅せざる国家が残っ
  たのである。かくて、〈風景論〉は正確に〈国
  家論〉として再構成されざるをえなくなる
  。(12)

均質化された風景はすなわち国家の遍在化である。ガンバの出立する都市も国家であれば、ノロイ島もまた国家である。ノロイの脅威が去った後、数え切れない仲間たちの死を悼み、ガンバたちは島を去るが、ガンバたちの党不在の夢見ヶ島にはふたたび党と国家が立ち現れるのだろうか。ここからは島に残った忠太と島ネズミたち第三世界人民の努力によるしかない。
 しかしなにより見ておくべきは、直接にはノロイはガンバたち党によって倒されなかったということである。それは海によってこそ破壊されたのだ。ガクシャは島に伝わる民謡を読み解くことによって、渦潮にノロイを沈めることをおもいつく。ネズミたちがさらに沖の島を目指して泳いでゆき、波とネズミが見分けがたくなったそのときにノロイは水底へと退場するのである。
ガンバの冒険』の最終話(第26話「最後の戦い大うずまき」)、エンディングテーマが流れる直前の箇所でシジンは海を讃える。

  こんなにひろーい、こんなにおおきいうみ、う
  みうみみうみうみ、わたしたちはちいさなね
  ずみです。だからよけいわかるのですこのすば
  らしいひろさを。このすばらしいおおきさが。
  おしっこをしてもゆるしてくれますね、おおつ
  ぶのなみだをこぼしてもゆるしてくれますね。
  わたしたちはたびをつづけます。みていてくだ
  さい。わたしのちいさなちいさなちいさなぼう
  けんを。

 ガンバとボーボが海を目指し、シジンが海を讃える『ガンバの冒険』は海にはじまり海に終わる。原作でも「海と、島と、仲間と、力強い歌声。他に、何か必要ですか?ぼくは、これで、十分だ。これで……」というボーボが死の間際に発する美しい一節があるが(13)、ガンバたちはいつも海とともにある。彼らは「なぜか、こうして海を見ていると、自分が生まれた時からずっと海のことを考え続けており、毎日のように海を見続けていたような気にさえなってくる」のである(14)。作画監督椛島義夫によれば、ガンバが海をはじめてみたシーン(第2話「ガンバ、船で大暴れ」)は出崎統監督の指示によってアニメーターの草稿が背景担当によって描き直され、その結果『ガンバの冒険』での作画を決定づける場面になったという(15)。
 こうした海のもつ得体の知れなさとわれわれを惹きつける魅力について、フランス文学者の白石嘉治は以下のように書いている。

   海は近代の政治哲学を浸している。ホッブズ
  の「リヴァイアサン」自体、旧約聖書に由来す
  る海の怪物レヴィアタンである。さらにカー
  ル・シュミットは、そのレヴィアタンと陸の怪
  物ベヒモスとの宿命的な敵対として、国家主権
  の歴史を紡ぎだす(『海と陸と』1942)。海
  は陸にとっての脅威であり、シュミットにとっ
  ては、イギリスの海洋帝国はヨーロッパ大陸
  国家に対置されるべきものだった。
   こうした政治哲学的な形象には、美学的な起
  源があることを確認しておこう。ホッブズの生
  きた17世紀、海は「何かわからないもの」の
  典型として論じられていた。それは表象や定義
  をのがれるが、驚異として情動をかきたてる。
  この「何かわからないもの」をめぐり「崇高」
  概念が練り上げられ、カントの『判断力批判
  (1790)では、そうした「崇高」の感得にお
  いて示めされるのは、理性の限界であり、倫理
  的な実践をうながす確信のありかである。じっ
  さいパリ・コミューンの闘士たちは、みずから
  を「崇高なる者」と呼ぶ。その蜂起で賭けられ
  ていたのは、国家理性の非道にたいする情動の
  絶対的な肯定である。
   海は交易の場であり、蜂起の崇高な情動のや
  どる揺籃である。この両義性は、網野善彦の語
  る海民についてもいえる(『無縁・公界・楽』
  1978)。網野はシュミットの図式を反転させ
  る。陸の秩序にしたがう農民にたいして、海民
  には移動のゆたかさがある。海は陸の俗界から
  切り離された「無縁」の場であり、その聖性に
  おいて自由な交通も可能となる。だが、海は市
  場の別名ではない。それは遊動し、捉えがた
  く、無限の反復をはらむ。あらゆる尺度からの
  がれ、陸の統制も市場の交換も知らない。その
  無償の力能は怪物そのものであり、げんに古代
  の伝承では、ベヒモスレヴィアタンとともに
  海に棲む。われわれが海をまえに感じるのは、
  尺度や鋳型のない無償の世界のはじまりであ
  り、その「準平衡」(シモンドン)の過剰な飽
  和のひろがりのただなかから、無数の怪物たち
  が姿をあらわす予感にほかならない。(16)

 海は表象からたえず逃れ去る。ガンバの冒険は海を一目みようと開始されるが、冒険の途上なんど見ても海はけっして捉えきれない。ことは歴戦の船乗りガクシャやヨイショもおなじである。ボーボは海を前に吃るほかなく、シジンの詩が完成をみることはないだろう。
 そうした海を前にしてなされるべきは博徒イカサマのようにただ丁か半かに張ることではない。たいせつなのは、超か反かを見きわめ、国家をわれわれのうちから払いのける海の身ぶりへと自らを賭けることである。
 永山則夫の旅を追った『略称・連続射殺魔』が映し出すのは均質化された都市、遍在する国家であった。対して、党―国家の軛から遠く離れた風景の果てに見出されるのは、どこまでいっても海、海、海、ただひたすらに海である。



(1) 松田政男『風景の死滅』(田畑書店、1971・10)。これを読むあなたが「あの」と聞いて即座に「どの?」と問い返すようなWikipedia的知性を働かせたならぜひ一読をすすめる。
(2)(1)12頁。
(3)(1)120頁。
(4)YouTubeに全編上がっているhttps://www.youtube.com/watch?v=swRSsBmUVKQ 
(5) 斎藤淳夫/作、薮内正幸/画『冒険者たち――ガンバと十五ひきの仲間』(牧書店、1972)。
(6) 監督:出崎統東京ムービー、1975年4月7日 - 9月29日放映。
(7) 第1話「冒険だ海へ出よう!」。ボーボの吃音は作中この箇所においてとりわけ強調されている。
(8) 原作だと『しあわせソウのオコジョさん』のオコジョさんのような見た目をしているし、パレットというネズミとダンスバトルがおこなわれるなどあんまり怖くない。
(9) 「ごく一般的にいって女は男にくらべてだめだ、いや、力が弱いといいたかっただけなんだ」とガンバは潮路に向かって口をすべらす。(5)232頁。
(10) 〽そろたそろたよ仲間がそろた 一年ぶりにまたそろた 踊り踊らば あの娘と踊れ 赤い蘇鉄の咲く下で 娘欲しけりゃ泳いで渡れ 赤い蘇鉄の咲く下で 年に一度の早瀬川 渡れ渡れよ泳いで渡れ 月が満ちたその日のうちに あーあよーいっとどっこいさ
(11) 女の血液を不浄とみなす男を想起しよう。高野連日本相撲協会はそれが管轄する競技が国民的である限りで、国家の出先機関である。
(12)(1) 286・7頁。
(13)(5) 341頁。
(14)(5) 167頁。
(15)BSアニメ夜話ガンバの冒険」。https://youtu.be/bNchvmUcclc
(16)白石嘉治、矢部史郎編『VOL lexicon』(以文社、2009・7)、23頁。

上野千鶴子と砂肝とnicolaと

もう金曜日午後とかって全然やる気ないじゃん。うん、月曜日からやる気ないけど金曜日ってその五倍はやる気ないんだよね。たった1時間の休憩が終わったところでエンジンがかかるはずもないからさ、あ、まーうな重でも食べたら少しは元気出たかもしれないけど。。でもまあうな重は食べてないし、いつも通り休憩時間終わって暇つぶし材料を探してたんだよね。昼休みにTwitterで「東大入学式の上野千鶴子の祝辞がいい」ってみたからどんなもんかなって読んでみたのね。内容は間違ったことは言ってないしその通りだってフンフンと読んだ。最後の「ようこそ、東京大学へ」なんかはもちろん私に向けられたものではないし、過去も未来も一瞬も向けられることはない言葉だろうけどちょっとゾワっとしちゃったりなんかしたよ。(問1 このゾワっとはどういう意味でしょうか)

でさあ、それ読んで気になったのは入学者の女性が2割を超えないらしいことなんだよね。2割ってさ、少なすぎない?そもそも受験者が少ないのかな?賢い人なら高台を目指したいと思うし、半半くらいだと思ってたから結構衝撃で。

でも、それは事実でその後に書いてあった合コンで女性は「東京大学です」って言えないって事がこの2割の理由なんだよね。前に私の好きな『Wの悲喜劇』で千田有紀さんが学生時代に勉強が男子より出来すぎて、あ、これはダメだ、ちょっと手を抜かなきゃと思ったみたいなこと言ってて、その時言ってることなんかわかるかもしれないと思ったのよ。で、そのなんとなく察してしまった気持ちが女性入学者を2割に留めてるんじゃないかって思うの。結局女って小さい頃から「男は立てるべき」みたいのが自覚ないくらい反射神経並みに即反応するように埋め込まれてしまってると思うんだよね。別に親にそうしろとか言われてたわけじゃないんだけど、どこから入ってきたんだろ?まあ外からの影響だと思うんだけど。

私は勉強出来ないしスポーツも出来ないから「あ、今は男子を立てるために引っ込んでよう」ってのはなかったけど、「男子に嫌われないために自己主張は控えめにしておこう」と思ってたし、実際そうしてた。アホみたいだけど。他の子みたいに恋愛市場に入りたかったからね。今思うと中学の時に読み漁ってた「nicola」のモノクロページに「男子はこういう女子が好き」みたいな自分の主張を持たない献身的で清潔なお母さん量産特集がしょっちゅう載ってたからあれが悪かった気もしてる。罪深いね、新潮社は。1億円くれ。

あーでも「男を立てるために」と「異性に好かれるために」ってのは微妙に違うのかな?けど、合コンで「東京大学」って言えないっていうのはどちらの要素もあるよね。つまり「大学名を言うと、その大学より偏差値の低い男たちが退くから」と「大学名を言うと恋愛対象に入れてもらえない」っていう。今の私からすれば「大学名で退く男なんて性差別野郎だから金玉ブチ切って砂肝みたいにガーリック炒めにしてレモンでも絞れば」って思うけど、大学入ってウキウキキラキラのキャンパスライフ~って思ってる人からしたらショックよね。うーん、やっぱ罪深い新潮社。

だんだん新潮社への恨みみたいになってきたからこの辺で終わるけど、ちょっとこれは今後考えて続けてみたいね。とにかく今簡単に言えることは「nicola」は子供に読ませるものではないし、男は自分の立ち位置は自分で作って自分で守ってほしい。あとその位置に自信もって堂々としとけ!それは女も一緒かな。あ、もう17:00だから帰るね。

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鶏そばなんきちの店主を悼む

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 鶏そばなんきち早稲田店の店主が亡くなった。私がこの文章を書いている5日前、2019年2月22日のことだった。

 世の中に早すぎる死と遅すぎる死があるのなら、高井一さんの死は明確に前者の死だった。王将の社長が本社前の駐車場で射殺されてもさして悲しくはないが、高井さんの死はあまりにも悲しい。社長が高齢で高井さんが若齢だからではない。高井さんのらーめんはもう食べられない。

 なんきちは高田馬場-早稲田のらーめん店がひしめくエリアのちょうど中間あたりに店を構え、そこそこ繁盛していたように思う。いつ行っても清潔で、界隈ではあたま一つ抜けて美味だったにもかかわらずすぐ座れた店内、過不足ない接客やいずれも高レベルな鶏と煮干しのらーめんを気に入り、このブログを運営する私たちは足繁く通っていた。子ども用の椅子が備え付けてあったのもいま思えば店主の人柄の表われだったのかもしれない。

 私は友人たちに高田馬場-早稲田のらーめんについて聞かれた時にはかならずこう答えていた。「早稲田通りのらーめん店は一番飯店にはじまり、五芳斉におわるよ」と。なんきちは早稲田通りのらーめん水脈のちょうど中央に、まるで旅人の乾きを癒やす泉のように存在していた。「早稲田通りのらーめん店は一番飯店にはじまり、(なんきちを経由して)五芳斉におわるよ」というのが上の発言には隠されていた、といまなら言える。

 セメント系の濃厚煮干ラーメンはレアチャーシューのピンク、水菜のグリーン、メンマのブラウンが美しかった。味のレベルが言うまでもなく高かったことは私の舌がいつだって証言するだろう。

 近頃らーめんを自作するようになってよくわかったのだが、煮干を上手に扱うのはむずかしい。一定のおいしさのスープをとることはかんたんだが、苦みとうまみのバランスをとるのが厄介なのだ。なんきちの濃厚煮干らーめんは、苦みとうまみに加え煮干のあまみと香り高い油が調和しながら静かにたゆたっていた。「スープを口にした瞬間に煮干がかつて海でそうしていたように脳内を泳ぎ回る」、と評しても言い過ぎではないことはなんきちに親しんだ人にはわかってもらえるはずだ。

 高井さんがアルバイトの方に「はやく味玉のつくりかた覚えてもらわなきゃこまるよ」と嫌味なく、彼に期待していることが十分に伝わってくる優しい口ぶりで話しかけていたのを私たちはよく覚えている。高井さんは私たちの顔など覚えていないかもしれないけれど、私たちは高井さんのらーめんを心身で記憶している。なんきちのらーめんが食べられなくなってほんとうに悲しい。こんな凡庸な文章をこのブログで発表してもなんにもならないことはよく理解できるのだが、その死に際してなにごとかを書かずにはいられない人柄とらーめんだった。

 冥福など信じない。最近ダイエット対決をはじめてしまったばかりにらーめんを控え、なんきちから足が遠のいていたほんとうに愚かな私たちより、心からの哀悼の挨拶を。

図書館の迷惑利用者対処法

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 図書館は人民の知を半ば独占している。利用資格のない者には資料の貸出はさせないことになっているし、年間億単位の予算で賄われるデータベースも利用できないことになっている。なぜ身分によって利用できる知に違いがあるのか。もちろん、そうなっているだけで図書館司書の裁量で個別に利用を黙認することもあるのだろうが、大学図書館を想起すればわかるように基本は排外的と言ってよいとおもう。

 かりに革命というものがあるのだとして、また革命以後というものが想像できるとして、図書館はなおも存在を続けるだろう――こうした観念の下図書館で働いていると大抵のことは問題ですらなくなる。些細な書類の不備が図書館利用者とわれわれにとってどんな不利益をもたらすのか、座ったまま利用者に対応したとして何が問題になるのか、といった具合に。

 ともあれ、官僚制的な労働を月10万円台半ばの手取りで担わされ、あまつさえ利用者に接し感情労働をさえ求められるわれわれにとって肝に銘じなければならないのは、自身が入管職員や役所の福祉担当者の類似物にならないようにすることである。彼らは内外の規定を盾に人民の要求をはねのける。「きまりでそれはできないことになってるんですよ」というのが彼らの口からつねにきこえてくる耳障りな音である。福祉制度などほんとうにはなくなればいいとおもうが、それで救われる生もある。そのことを承知の上で、彼らには背を向けなければならない。

 たとえば、図書館のカードを閉館ぎりぎりに作りにきた人のことをかんがえよう。われわれはその人を「こちらのきまりで閉館の1時間前までに来ていただかないとカードは作れないんです。図書館のホームページにも公開されていることですが」とはねのけることができる。これが入管職員の態度だ。しかしわれわれが現状知の独占に加担し、上の対応をとることが人民の知をやはり制限することになる以上、こうした態度を取るべきではない。

 しかし同時にーーこれがわたしにとって重要なことだがーー図書館司書は上の利用者に対して、(もちろん利用者の事情を聞いてその気になることもあるとはいえ基本的には)その場でカードを発行するべきではない。そしてそうした利用者の申し出を断るときに「きまりでそれはできないんですよ」と言うその「きまり」こそが人民の知を制限している以上、わたしは別種の言い草を以て、つまり、「あなたを他の人民を差し置いて特別扱いすることはコミュニストとしてできないんですよ。それにわたしの労働が増えるじゃないですか!」と応じなければならない。ここでのコミュニズムはもちろん権威を戴くそれではない。利用者に対してわたしはカードを与える者として端的に権威として現れていることは確かであるが、そうした権威をかさに着ることなく振舞うことが出来なければならない。

 「コミュニストとして」というのが入管職員のいう「きまり」と異なるのはそれが統治権力の暴力によって賦活されていないからだ。では、われわれは何を/から触発し/されなければならないかーーそれは統治権力の外部に生起する〈暴力〉にほかならない。〈暴力〉violenceは統治の強制力forceとはまったく別物だ。利用者の知を求める〈暴力〉が統治権力の強制力を映現していないかぎりにおいて、われわれの〈暴力〉は利用者とともに図書館を壊し作り壊さなければならないはずである。

われわれは、少なくともわたしは図書館についてまだなにも知らない。勤務中に以下を渉猟しながら考えていこうとおもう。
http://www.pot.co.jp/zu-bon