孫悟空にはなれない

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自殺と反日ノート

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 もういやだ。私は日々のうのうとなるべく楽しく生きている。でもまさにそのとき入管では国家によって「外国人」が殺されており、在日〇〇人たちを前に私は入管体制そのものとして現れている。津村喬が『戦略とスタイル』他で書いたことは現在の私をつよく撃つ。外国人技能実習生の問題にしてもそうだ。市民生活=「俗なる風」は植民地主義によって成り立っている。
 かといって差別者たる私はなにもしていない。運動らしい運動をしていない。運動は大切だ。でも運動したからといってなにかが変わるわけではない。もちろんすこしは変わるけれど。一切の皮肉なく運動をしている人たちを尊敬するが、私は疲れすぎている。運動にしても思想にしても展望が見えないから結局は現在の市民としての生活に安住してしまうのだろう。展望なんていつだって見えないものだということはわかっているのだが。
 凡庸な諦めが私を蔽っている。これは思想ですらない幼稚さだ。けっきょく私も現実を変えることができない無力を抱きながら老いるだけなんじゃないか、すこしばかり気の利いた文章を発表しても仲間内で無視/評価されるだけだという確実な展望が私を支配している。
 じぶんだけが幸せに生きるのはその能力はべつにしてむずかしくない。国家と資本制を肯定し、強者として振舞えばいい。世の中はそうした生き方をしやすいようにできている。でもできない。そんな生を生きるなら死んだほうがマシだから。
 運動らしい運動は今後もしないかもしれないしするかもしれない。しかし死んだほうがマシな生を前にしたときに即座に身体=頭を動けるようにしておきたい。以下はそのためのノートだ。だからあなたが読んでもおもしろくない。保険をかけるわけではなく、掛け値なしにおもしろくない文章だとおもう。それでも公開するのは、ただ仲間を増やしたいからだ。跳躍するときはつねに独りなのだけれど、仲間がいると跳びやすいのだ。

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  われわれの握手の、掌と掌のあいだには血が滲んでいる――堀田善衛「上海にて」(1)

 事実の確認からはじめよう。以下は堀田善衛「上海にて」からの引用である。

  かつて、この喫茶店の前の通り、ほんのひとに
 ぎりしかいなかったフランス人が、わざわざパリ
 ーからマロニエの木をとりよせて並木にしたとい
 われる通りで、それは私が一九四五年に上海に到
 着してから一週間目くらいの頃のことであった
 が、ここで私は、私にとっての一つの事件にぶつ
 かった。それは次のようなものだった。
  あるアパートメントから、洋装の、白いかぶり
 ものに白いふぁーっとした例の花嫁衣裳を着た中
 国人の花嫁が出て来て、見送りの人々と別れを惜
 しんでいた。自動車が待っていた。私は、それを
 通りの向い側から見ていた。すると、そのアパー
 トの曲り角から、公用という腕章をつけた日本兵
 が三人やって来た。そのうち一人が、つと、見送
 りの人々のなかに割って入って、この花嫁の、白
 いかぶりものをひんめくり、歯をむき出して何か
 を言いながら太い指で彼女の頬を二三度ついた。
 やがて彼のカーキ色の軍服をまとった腕は下方へ
 さがって行って、胸と下腹部を……。私はすっと
 血の気がひいて行くのを感じ、よろよろと自分が
 通りを横断していると覚えた。腕力などというも
 のがまったくないくせに、人一倍無謀な私は、そ
 の兵隊につっかかり、撲り倒され蹴りつけられ、
 頬骨をいやというほどコンクリートにうちつけら
 れた。
  私は元来のろくさい男だ。ものごとがわかるに
 ついても、ぱっとわかるという具合には行かな
 い。のろのろとしかわからない。そのくせ、ある
 いは、だから、自分でわかったと思うことを過信
 する傾きもないではない。撲り倒され蹴りつけら
 れて、やっと、あるいはしだい次第に、”皇軍”の
 一部が現実に(原文傍点3字)、この中国でどう
 いうことをやっているかを私は現実に理解して行
 った。倒されたまま私はなかなか起き上ることが
 出来なかった。上海に来る前に、私は肋膜を病
 み、その旧患部を……兵隊たちはゴム足袋をはい
 ていたが……蹴られたこともあった。その場の中
 国人たちが花嫁ともどもに私を助け起してくれ
 て、アパートの一室へつれ込んでくれた。
  あのときの花嫁は、恐らく一生を通じて、あの
 晴れの門出のときに、かぶりものをまくりあげら
 れ、頬をこづかれ、また乳と下腹部をまさぐられ
 た経験を忘れないであろう。たとえあの兵隊自身
 にはそれほどの悪意はなかったにしても……とい
 うのが、私にとっての一つの出発点であった。
 (2)

 堀田善衛は1945年春の上海で右を体験した。結婚式という目的の継続のためには憲兵にへらへらと冗談のひとつもいいながら国家の暴力を前提とした女性差別をやり過ごす道も通俗的には残されていた。しかし堀田にはそうすることができなかった。ある目的を達成するためになされるのではない非主意主義的な抗い――ゴールを定め、それに向かって主体的・意識的に前進してゆくような戦いとは異なる闘い――がここで重要なのではない。銘記すべきは、この挿話の裏に中国人民が日本臣民から経験させられた幾千の侮辱が隠れている、という厳とした事実である。
 堀田善衛は傑作『時間』で日本軍による南京大虐殺を中国人の視点から描ききった。加害を見つめるにあたって被害者の眼を通じて、しかも加害者の末裔たる日本人作家がなした『時間』のあらすじを私はいま書くつもりはない。歴史の浅層をさらってゆく学びが悲惨を捉えきらないどころかそれを違ったかたちで把捉し理解の輪を閉じてしまうように、要約は『時間』の真摯さにはそぐわないからだ。私にできるのはただ作品の只中に身をおいてそれに深層からの共鳴を試みることだけである。
 語り手の陳英諦は妻を強姦され、子を殺されたのち自らも虐殺されかけるが、同胞たちの骸の間を縫って生き延びることができた。以下は英諦の日記に現れ、英諦が幻視した事実である。

  八月五日
  ちょっとでも気を許すと非道いことになる。昨
 夜怖ろしい夢を見た。そして夢の大部分は事実な
 のだ。日軍にさらわれて軍夫として荷を担ぎ、車
 輛をひかされて放浪して歩いた時、某所で日兵が
 娘を輪姦した。娘は、顔に糞便を塗り、局部には
 鶏血を注いで難を逃れるべく用意をしていた。け
 れども、日兵たちも、もはや欺かれはしなかっ
 た。彼等は娘に縄をつけてクリークに投げ込み、
 水中で彼女がもがくのを喜び眺めた。やがて縄を
 ひいてひきずり上げた。糞便も鶏血もきれいに洗
 い落とされていた。わたしは荷車に電線で縛りつ
 けられていた。事おわってから、兵のうち一人
 が、
 『いいじゃないか、お前も一挺やらぬか』
  と云った。
  その兵の顔は、用を済ませた獣と永遠に不満な
 人間との中間が、どんな顔つきのものであるかを
 明らかに示していた。失神した少婦は、失神によ
 ってまことに人間らしかった。しばらく後、小婦
 には冷水がかけられ、……。
  夢では、この小婦の枕頭に、うなだれた、たて
 がみの長い白い馬を視る。その馬の、瞠いた巨大
 な眼。
  つけ加えて云っておかねばならぬことがある。
 この淫蠱毒虐な景色からほど遠からぬところに、
 二人の年老いた農夫がいて地を耕していた。二人
 は傍目もふらずに働いていた。一鍬一鍬、頭上高
 くふりあげて規則正しく地にうちこんでいた。一
 鍬、一鍬、彼ら二人がどんなに深く強く我慢をし
 ているかが、眼に見えた。(3)

 この夢と現実が区別されなくなるような極限の苦境、日本による侵略によってもたらされた「殺、掠、姦」(4)を文学として結実させた堀田の功績はあまりにも大きく、〈この私〉は改めて堀田の文学を論じなければならなくなるだろう。
 しかしここでは1955年の『時間』からおよそ20年を経て開始された闘争をみておきたい。なぜならそれこそがなにごとにつけ曖昧な〈この私〉を倫理的に賦活してくれると信じるからだ――。

    *

 この大日本帝国による加害をみつめることから出発したのが、東アジア反日武装戦線であった。1974年から三菱重工をはじめとする連続企業爆破事件を起こした彼/女らが最初に爆弾による行動の標的として定めたのが南京大虐殺の責任者松井石根が建立した興亜観音と殉国七士像であったことを想起しつつ(5)、次の文章を読んでみよう。

  さて、以下に東アジア反日武装戦線“狼“はいく
 つかの問題を提起し、日帝打倒を志す同志諸君と
 その確認を共有したいと思う。
(1)日帝は、三六年間におよぶ朝鮮の侵略、植民
 地支配を初めとして、台湾、中国大陸、東南アジ
 アなども侵略、支配し、「国内」植民地として、
 アイヌモシリ、沖縄を同化、吸収してきた。われ
 われはその日本帝国主義者の子孫であり、敗戦後
 開始された日帝新植民地主義侵略・支配を、許
 容、黙認し、旧日本帝国主義者の官僚群、資本家
 共を再び生き返らせた帝国主義本国人である。こ
 れは厳然たる事実であり、すべての問題はこの確
 認より始めなくてはならない。
(2)日帝は、その「繁栄と成長」の主要な源泉
 を、植民地人民の血と累々たる屍の上に求め、さ
 らなる収奪と犠牲を強制している。そうであるが
 ゆえに、帝国主義本国人であるわれわれは「平和
 で安全で豊かな小市民生活」を保障されているの
 だ。
  日帝本国における労働者の「闘い」=賃上
 げ、待遇改善要求などは、植民地人民からのさら
 なる収奪、犠牲を要求し、日帝を強化、補足する
 反革命労働運動である。
  海外技術協力とか称されて出向く「経済的、技
 術的、文化的」派遣員も、妓生を買いに韓国へ
 「旅行」する観光客も、すべて第一級の日帝侵略
 者である。
  日帝本国の労働者、市民は植民地人と日常不断
 に敵対する帝国主義者、侵略者である。
(3)日帝の手足となって無自覚に侵略に加担する
 日帝労働者が、自らの帝国主義的、反革命的小市
 民的利害と生活を破壊、解体することなしに、
 「日本プロレタリアートの階級的独裁」とか「暴
 力革命」とかをたとえどれほど唱えても、それは
 全くのペテンである。自らの生活を揺ぎない前提
 として把え、自らの利害をさらに追求するための
 「革命」などは、まったくの帝国主義反革命
 ある。一度、植民地において、反日帝闘争が、日
 帝資産没収と日帝侵略者への攻撃を開始すると、
 日帝労働者は、日帝の利益擁護=自らの小市民生
 活の安定、の隊列を組織することになる。
(4)日帝本国において唯一根底的に闘っているの
 は、流民=日雇労働者である。彼らは、完全に使
 い捨て、消耗品として強制され、機能づけられて
 いる。安価で、使い捨て可能な、何時でも犠牲に
 できる労働者として強制され、生活のあらゆる分
 野で徹底的なピンハネを強いられている。そうで
 あるがゆえに、それを見抜いた流民=日雇労働者
 の闘いは、釜ヶ崎、山谷、寿町に見られる如く、
 日常不断であり、妥協がない闘いであり、小市民
 労働者のそれとは真向から対決している。
(5)日帝の侵略、植民地支配の野蛮に対して、多
 様な形態で反日帝闘争が組織されている。タイに
 おいては「日貨排斥運動」、「日本商品不買運
 動」という反日帝の闘いが導火線となり、タノム
 反革命軍事独裁政権を打倒した。韓国において
 も、学生を中心に反日帝、反朴の闘いが死を賭し
 て闘われている。しかし、過去一切の歴史がそう
 であった様に、われわれはまたもや洞ヶ峠を決め
 込んでしまっている。ベトナム革命戦争の挫折と
 われわれの関係においてもまた然りである。日帝
 本国中枢におけるベトナム革命戦争の展開ではな
 くて、「ベトナムに平和を」と叫んでしまう。米
 帝の反革命基地を黙認し、日帝ベトナム特需で
 われわれも腹を肥やしたのである。支援だとか連
 帯だとかを叫ぶばかりで、日帝本国中枢における
 闘いを徹底的にさぼったのである。ベトナム革命
 戦争の挫折によって批判されるべきはまずわれわ
 れ自身である。
(6)われわれに課せられているのは、日帝を打倒
 する闘いを開始することである。法的にも、市民
 社会からも許容される「闘い」ではなくして、法
 と市民社会からはみ出す闘い=非合法の闘い、を
 武装闘争として実体化することである。自らの逃
 避口=安全弁を残すことなく、”身体を張って自
 らの反革命におとしまえをつける”ことである。
 反日武装闘争の攻撃的展開こそが、日帝本国人
 唯一の緊急任務である。過日、地下潜行中の某人
 が公表した文章に見られる待機主義は否定しなく
 てはならない。
(7)われわれは、アイヌモシリ、沖縄、朝鮮、台
 湾などを侵略、植民地化し、植民地人民の英雄的
 反日帝闘争を圧殺し続けてきた日帝反革命
 略、植民史を「過去」のものとして清算する傾向
 に断固反対し、それを粉砕しなければならない。
 日帝反革命は今もなお永々と続く 現代史その
 ものである。そして、われわれは植民地人民の反
 日帝革命史を復権しなければならない。
  われわれは、アイヌ人民(彼らがアイヌとして
 闘いを組織する時、日帝治安警察は、在日朝鮮人
 に対すると同様、外事課がその捜査を担当してい
 る)、沖縄人民、朝鮮人民、台湾人民の反日帝闘
 争に呼応し、彼らの闘いと合流するべく、反日
 の武装闘争を執拗に闘う”狼”である。
  われわれは、新旧帝国主義者植民地主義者、
 帝国主義イデオローグ、同化主義者を抹殺し、新
 旧帝国主義植民地主義企業への攻撃、財産の没
 収などを主要な任務とした”狼”である。
  われわれは、東アジア反日武装戦線に志願し、
 その一翼を担う”狼”である。(6)

 私たちの大多数は天皇を頂点に戴く (新)植民地主義の協力者=帝国主義本国人である。東アジアでは日本の侵略に対する反日武装闘争が闘われており、また、加害者の末裔たる東アジア反日武装戦線の彼/女らがそれを肯んじない以上、東アジア人民への呼応はほかならぬここ日本国内における武装闘争によって開始されなければならなかった。
 東アジア反日武装戦線三菱重工を爆破した際に8名が死に、380名が負傷したことはよく知られており、同じく、これをかけがえのない人命を顧みないゲリラによる無差別テロと書きたて、オウム真理教による地下鉄サリン事件に等しい罪だと断罪するのがジャーナリズムの習いである。しかし彼/女らは東アジア人民の命が虐げられていることに「おとしまえをつける」ために立ち上がったのであり、――計画が綿密さを欠いていたことは事実にしても――無差別な殺傷の意図はなかったことは明らかである(7)。また、鵜飼哲が言うように「サリンは人しか殺せないけれども、爆弾は物だけ壊すこともできる」のだ(8)。この意味をよく考えねばならないだろう。〈この私〉がなさければならないのは、「爆弾テロによる闘争は、無関係の人びとを巻き込んだという意味でそれが批判する帝国主義者とおなじことをしてしまっている」などと安全圏から志の低い批判を投げつけることではない。
 それでも日帝本国人の右翼的、あるいは左翼的口吻からは、三菱重工爆破事件以前に東アジア反日武装戦線天皇とその近傍を殺そうとしたではないかとの声がもれ聞こえてくる。あるいはある意味で当然の問いとして、「爆弾による天皇暗殺では天皇制は存続あるいは強化され、後には弾圧の嵐が控えているのではないか」、と。
 “狼”の大道寺将司は、松下竜一の問いに次のように答えている。

 「仮りに天皇暗殺に成功したとしても、それは皇
 太子の即位を早めるだけのことであり、むしろそ
 のあとに吹き荒れる戒厳令的状況はすさまじいこ
 とになるでしょうが、そこらのことをあなたはど
 う考えていましたか」
  私(筆者)の質問に大道寺将司は獄中から次の
 ように答えてきた。
 「天皇暗殺が即天皇制の廃絶につながらないこと
 は承知していました。また、これだけ官僚機構が
 発達していると、頂点の者を倒しても、すぐ別の
 者がとって代っていくということはよくわかって
 いる訳です。
  しかし、天皇ヒロヒトの場合、”たまたま天皇
 の地位にいる”というのではありません。ヒロヒ
 トの戦争犯罪というのは極めて大きいものがあり
 ます。特別な立場に立ってきたと思うんです。か
 つて皇軍に侵略された東アジアの人びとは、天皇
 ヒロヒトへの怒りを忘れていません。ぼくらはそ
 れを軽視したり、知らぬ顔をすることはできない
 と思いました。そして、天皇戦争犯罪を具体的
 に剔出(原文ルビ=てきしゅつ)することはタブ
 ーであるかの如き傾向がありましたから、逆にど
 うしてもやらなくてはならないのだと思ったので
 す。
  また、天皇暗殺が天皇制廃絶ではないにして
 も、天皇制廃絶をめざしつつ、天皇を、然も東ア
 ジア人民の怨嗟の的であるヒロヒトを打倒しない
 というのは、ごまかしだと思います。”戒厳令
 のような状況”の到来ということは当然考えまし
 た。”左翼狩り”が徹底的に行なわれると思いまし
 た。しかし、それはそれだけ矛盾を顕在化させ、
 激化させることじゃないでしょうか? とした
 ら、それはむしろ望むところなんじゃないでしょ
 うか?
  何故この国では反権力の闘いが持続しないの
 か、ということを話し合いました。たしかに、少
 数の闘いはあります。しかし大衆的には持続しな
 い。それは天皇イデオロギーに圧倒的に浸され
 ているからであり、また暖衣飽食の中で闘う相手
 を見失っているということを考えました。
  そうであればこそ、天皇を攻撃することは必要
 なのだと」(9)

   *

 爆弾による天皇の暗殺、これを桐山襲パルチザン伝説』の父子は熱望した。東アジア反日武装戦線のメンバーや加藤三郎をモデルとしたらしい語り手の〈僕〉が、父の戦友=Sさんの手記を連合赤軍の元メンバーらしき兄に向けて送るという構造のこの作品は、その大部分が〈僕〉による闘争ではなく、アジア・太平洋戦争末期における父の爆弾――大逆事件で死刑になった宮下太吉の作った爆弾と同型のそれ――を用いた闘争を描くことに費やされる。
 父はSさんの作った爆弾を使ったある企図を語る。すなわち、「自分たちの国に解放をもたらすためには、まず自分たちの国に敗北をもたらさなければならない。それは一日も早くしなければならない。そして、日本に敗戦をもたらすためには、間もなく開始されようとしている米軍の焦土作戦に呼応して、日本国内から武装闘争が始められなければならない」(10)というのである。この闘争は「日本を除くすべての東亜の民衆から」「歓呼で迎えられる」(11)はずのものであり、その第一の爆弾は空襲警報のさなか、省線Y線のS駅で車庫に止まっている機関車を爆破した。しかし、父の真の企図は明らかに、天皇暗殺とそれに伴う戦争の継続、そして、支配者を温存したままの「終戦」を根底的で壊滅的な「敗戦」へと転化させることにあった。「東亜の大地という大地、海という海を屍でいっぱいにし、なおかつこの国の敗戦に当って自ら生きのびようとしている男、地の底の王・或いはあの男に向けて、それ(原文傍点)は投ぜられねばならない」(12)。1945年8月14日、父は近衛師団のM大尉を通じて皇居内部へ侵入し、爆弾を炸裂させたが目的は達成されず、「この国のすべては元通り」(13)であった。
 それから約30年後の1974年8月14日、父の闘争を引き継ぐかのように、〈僕〉たちのグループは「首都の真中にある奥深い森のなかに棲んでいるあの男への、大逆」(14)を計画する。厳重な警備下の皇居に暮らす天皇を討つために彼らが選んだのは、那須御用邸からの復路、荒川鉄橋上に爆弾を設置し、御召列車ごと天皇を爆破するという作戦であり(Sの最初の爆弾が機関車を爆破したことを想起しよう。インフラ=国家の破壊)、爆破前日まで周到な準備を重ねてきた彼/女たちの計画は完璧に思われた。しかし、8月13日の深夜に起ったとある出来事によって、彼/女らの爆弾はその役目を果たすことなく、回収されてしまったのである(15)。

  だが――車から荷物をおろし終えてみると、ど
 うも様子がおかしい。いつもとは明らかに雰囲気
 が違っている。……僕たちは誰が指示するともな
 く、その場で待機する姿勢になった。やがて、眼
 が闇のなかで自由になっていくにつれて、少なく
 とも四人の男が、前方の叢の陰から僕たちの様子
 を窺っているらしいことがはっきりとしてきた。
 彼我の距離はおよそ三〇メートルもあろうか。最
 初、僕たちは例の痴漢だろうと考えて、その場に
 腰を下ろして待つことにした。けれども二〇分近
 くたっても、彼らは動こうとしない。そのうち彼
 らはゆっくりと散開し、一人が一五メートルほど
 の所まで近づいて来たかと思うと、もはや隠れよ
 うとするでもなく、堂々とこちらを眺めている。
 その男は機動隊の隊員を思わせるようなガッシリ
 とした体格で、どうもいつもの”夜の兵士”とは雰
 囲気が違う。――そのうち、その男は下の場所に
 戻ったかと思うと、同じような体格をしたもう一
 人の男が、今度は横から近づいて来てこちらを窺
 っている。……
  この状況を打開するために、僕たちはまず、男
 女一組がアヴェクを装って下流の方に歩きかけて
 みたが、この囮には一向に飛びつく気配がない。
 止むを得ず、三名が武器を手にして散開しようと
 すると、向こうはさらに散開して、なかなか見事
 に僕たちを包囲する態勢を取りつづけている。勿
 論、相手の一人か二人を撃破することが目的であ
 ったのなら、こちらは内線作戦によって敵を各個
 撃破すれば良いのだが、僕たちには余りに重大な
 任務が残されているのであり、敵の一部分を打倒
 したところで、残っている者に騒がれれば元も子
 もなくなってしまう。おまけに、彼ら四人の背後
 には、もっとずっと多くの人間が隠れているよう
 な、ただならぬ気配さえ感じられてくる。……
 (16)

 天皇を爆破しようとした〈僕〉たちの前に現れ、天皇暗殺=虹作戦を決定的に頓挫させた正体不明な男たちのこの不即不離なあらわれ――これこそが天皇制である。この現実を包括的に浸潤しているのだが限りなく抽象的で、かつ決してその姿を判然とさせないが、たしかにこの世界を規定しているもの。右翼のみならず左翼を自称する者までをも巻き込みながら遍在し、まるで自室の扉を開けると法廷へとつながっているあの文学のように隣接する不可視と可視のあわいに漂うもの。そこでは「自由に」振舞うことが許されているが、けっして「出口」がない。
 であれば、問題は〈この私〉はなにをなすのか。なにをなしてよく、なにをなしてはいけないと考えるのか。すなわち〈この私〉はいかなる「出口」を欲望するのか、である。

   *

 冒頭に引いた堀田善衛『時間』が被害と加害の視点の入れ替えを行った稀有なる先駆であることはすでに書いた。そして、2010年代の窒息しそうな状況下、『時間』に触発されるかたちで辺見庸は『1★9★3★7』を発表し、執筆の理由を次のように述べた。

  ではなんのために本書を著したのか。それは、
 こうだ。わたしじしんを「1★9★3★7」とい
 う状況(ないしはそれと相似的な風景)に立た
 せ、おまえならどのようにふるまった(ふるまう
 ことができた)のか、おまえなら果たして殺さな
 かったのか、一九三七年の中国で、「皇軍」兵士
 であるおまえは、軍刀をギラリとぬいてひとを斬
 り殺してみたくなるいっしゅんの衝動を、われに
 かえって狂気として対象化し、自己を抑止できた
 だろうか――と問いつめるためであった。おまえ
 は上官の命令にひとりそむくことができたか、多
 数者が(まるで旅行中のレクリエーションのよう
 に、お気楽に)やっていた婦女子の強姦やあちら
 こちらでの略奪を、おい、おまえ、じぶんならば
 ぜったいにやらなかったと言いきれるか、そうし
 ている同輩を集団のなかでやめさせることができ
 たか――と責問するためであった。みなが声をそ
 ろえてうたう”あの歌”を、おまえだけがうたわず
 にいられたか、みなが目をうるませてうたったあ
 れらの歌を、おまえだけが心底、嫌悪することが
 できたか、おまえは「1★9★3★7」にあっ
 て、「天皇陛下万歳!」とひと声もさけばずにい
 ることができただろうか――と自問するためであ
 った。さらには、精査すればおまえのなかにも知
 らずただよっていたにちがいない皇国思想や「精
 神的『機軸』としての無制限な内面的同質化の機
 能」(丸山眞男『日本の思想』)=「國體」に心
 づき、天皇ファシズムとのかかわりから「茫洋
 とした厚い雲層に幾重にもつつまれ、容易にその
 核心を露(原文ルビ=あら)わさない」(同)こ
 れらを「1★9★3★7」の実時間において析出
 できたか――と質すためであった。おい、おま
 え、正直に言え、感じとることも解析することも
 まるでできはしなかったのではないか、にもかか
 わらず、おまえは「皇軍」兵士だったお前の父親
 を、ただ一方的に、”骨がらみ過去に侵された他
 者”としてのみ無感動にながめていただろう――
 と、糺問(原文ルビ=きゅうもん)するためでも
 あった。(17)

次いで辺見は抵抗できない状態の中国人民を銃剣で突く刺突訓練を前に「かんにんしとくなあれ」と涙ながらに拒み、上官から激しく殴打されたひとりの新兵が居たことを記した後、以下のように述べる。

  そのとき、その場にあったら、わたしは「かん
 にんしとくなあれ」と言えたか、まったく自信が
 ない。たぶん、言えなかったろう。言わなかった
 だろう。わたしも〈これが戦争というものだ〉
 〈これは試練だ〉とじぶんを言いくるめて、銃剣
 をかまえて一個の人間の生体にむかい、目をつぶ
 り、ワーッとさけんで突っこんでいったか、ある
 いは、ツケ、ヌケ、ツケ、ヌケ!……と、運動部の
 合宿練習よろしく新兵にはげしいかけ声をかけて
 いただろう。(18)

 〈この私〉にも自信はない。不条理と感ぜられる物事に対しては怒り、悲しみ、反論し、行動を起こしてきたと思っている〈この私〉の反○○の所作のなかにはたして彼我の力関係や抗いの勝算を計量したうえでなされる狡知が潜んでいなかったと言い切れるのか。大西巨人神聖喜劇』における東堂太郎的な論理の使用を批判しておいて、その実、ひとまわりもふたまわりも小さい東堂として現実に対処していたのではないか。現在の世界であるいは戦時下の有無を言わさぬ状況において、大勢に反した孤立無援の抵抗を〈この私〉は行い得るのか。そしてこうした内省が、さして多くの人に読まれるとも思われない文章における自己弁護や醜い言い訳の類でないとどうして言えるだろうか――。
 天皇を後ろ盾にした皇軍兵士たちの存在は過去のものではない。天皇制はかたちを変えて敗戦後も継続されたし、国民から少なからぬ支持を得ている。そして周囲を見渡せば分かることだが、1945年に終わったことになっているあの戦争が再現されれば、進んで協力するだろう企業と「君の言っていることはよく理解できるが、それは現実的じゃないよ」と賢しらで消極的な翼賛を表明するはずの者たちであふれかえっているではないか。
 問いに答えず濁し、判断を未来に先送りしつつ、読者にも思考を要求することがこの手の雑文の凡庸な結語だが、〈この私〉は安易であるとの謗りを引き受けつつこう応えよう。
 天皇制の威光を頼みにした不条理、たとえば刺突訓練や強姦を命じられ、あるいは、それを目撃した小心な〈この私〉はそれを受けた相手からの危害を引き寄せるパレーシアを行使したうえで(19)、可能な限り抑圧者を殺すと同時に、被抑圧者を救い、自殺する、と。
 言うまでもないことだが、この自殺はヒロイズムと戦場での華々しい死から遠くはなれて行われなければならない。なぜなら戦争下における死は天皇制の磁場のなかでそれを維持する道具としての場所を占めているからである。1945年3月学徒兵として中国へ出征し、敗戦後10ヶ月の捕虜生活を送った戸井昌造は当時の自己の心理を以下のように分析している。

  ③はずかしいこと、みっともないことはできな
 いという気持――それは本来は人間的な気持なの
 だが、死に直面した戦場では、男らしくやるしか
 ないという「死の美学」みたいなものにたやすく
 変わってしまう。

  こうした意識を権力は一二〇パーセント利用し
 た。

  ④死に直面したときの恐怖心。それが、いざ実
 際に味方がやられると敵愾心とごっちゃになっ
 て、気が変になる。それが勇猛果敢な大和魂とい
 うふうに、すりかえられていった。「玉砕」とい
 う美しい言葉が意味していたのがそれであった。
 (20)

 〈この私〉の自殺は美醜への無関心を条件としなければならない。そして人は〈この私〉に問うだろう。「だが、そもそもなぜ自殺なのか。戦争犯罪を止めるのなら他に方法があるのではないか。自殺するのではなく生きて闘うことこそがあるべき責任の果たし方ではないのか」、と。そうかもしれない。しかし、抗命は手ひどい殴打や最悪、死を結果することになるだろう。そして殴打や死は他の皇軍兵士への見せしめとして恐怖を与え、さらなる罪業へと兵たちを駆り立てるはずである。そんな世に生きていても仕方がないではないか。
 東アジア反日武装戦線”狼”のメンバーは三菱重工を爆破し死傷者を出した後、全員が青酸カリのカプセルを持ち始めたという。それは死を賭して闘うためであると同時に、逮捕された際に権力に利用されないためであった(21)。
 〈この私〉が自殺にこだわるのも、権力に利用されたくないから、そして抑圧者を殺した自己を軍や法によって裁かれる前に自身の手で裁きたいからである。アジア・太平洋戦争下に生きる〈この私〉にとっての「出口」はここにある。
 同様に、与り知らぬうちに到来した生と、医療によって準備され囲繞されているであろう死がなんの疑いもなく蟠る現在の世界においても自殺は救済でありうる。スピノザが「自殺する人々は無力な精神の持ち主であって自己の本姓と矛盾する外部の諸原因にまったく征服されるものである」(22)と述べるものとは異なるように思われる自殺、”狼”の語彙で言えば自らの人生に「おとしまえをつける」自殺について、しかし〈この私〉はまだなにも知らない。
 〈この私〉が自殺についての思索――即断を避けながら、慎重になされなければならない何事か――を生涯を通じた当為として継続しなければならないということ、尋常でない息苦しさを日々肌で感じつつ、不確かで展望の失われたこの世界においてそのことだけは確からしく思われる。


(1)堀田善衛「上海にて」『堀田善衛全集12』、筑摩書房、1974・12、31頁。
(2)(1)、57-58頁。
(3)堀田善衛『時間』、岩波現代文庫、2015・11、159―160頁。
(4)(3)、64頁。
(5)現在、興亜観音のHPには次のようにある。「静岡県熱海市の一角、深い緑に包まれた伊豆山の中腹に、「興亜観音」と呼ばれる美しい観音様が立っておられます。 この観音様は、昭和十五年(1940年)二月、松井石根(まついいわね)陸軍大将の発願により、支那事変での日支両軍の戦没者を、「怨親平等」に等しく弔慰、供養するために建立されたものです。 現在では、大東亜戦争戦没戦士菩提碑(昭和19年)、大東亜戦争殉国七士の碑(昭和34年)、同殉国刑死一〇六八霊位供養碑(同年)も建立され、祀られております。このことにより、興亜観音は、大東亜戦争自衛戦争であることを明確にされたと考えております。 宗教法人 礼拝山興亜観音 支援組織 興亜観音奉賛会」http:www.koakannon.org
(6)『腹腹時計』vol.1、(東アジア反日武装戦線KF 部隊(準)『反日革命宣言 東アジア反日武装戦線の戦闘史』、風塵社、2019・1)所収。
(7)「一九七四年八月三〇日、日帝の中枢地区である三菱村の三菱重工本社前で炸裂した爆弾は、だが、攻撃すべきではなく、また、“狼“も攻撃することを意図してはいなかった通行人を多数殺傷してしまった。(中略)”狼”は通行人の殺傷を当初から目的としていたかのように書き、ダイヤモンド作戦の戦術的失敗を合理化してしまった」。東アジア反日武装戦KF部隊(準)『反日革命宣言 東アジア反日武装戦線の戦闘史』、風塵社、2019・1、32頁。
(9)平井玄・鵜飼哲 「難民の時代と革命の問い」『文藝別冊 赤軍1969→2001』、河出書房新社、2001・1、185頁。
(9)松下竜一『狼煙を見よ』、河出書房新社、2017・8、193―194頁。
(10)桐山襲パルチザン伝説』、河出書房新社、2017・8、60頁。
(11)(10)、69頁。
(12)(10)、113頁。
(13)(10)、134頁。
(14)(10)、18頁。
(15)この情景は1975年9月7日、獄中から「虹作戦 アジア人民の歴史的な憎悪と怨念は、私たち日帝本国人に、まず天皇ヒロヒトを死刑執行せよ、と要求している。」という文章のなかで大道寺将司が記した顛末とほぼ一致している。
(16)(10)35―36頁
(17)辺見庸『増補版 1★9★3★7』、河出書房新社、2016・2、19―20頁。
(18)(17)、216―217頁。
(19)フーコーは『真理の勇気』(慎改康之訳、筑摩書房、2012・2)のなかで次のように述べている。「人の気に入ることを語るのではなく真および善とは何かを語る人びとは、その言葉に耳を傾けてはもらえないでしょう。そればかりか、彼らはネガティヴな反応を引き起こし、苛立たせ、怒らせるでしょう。そしてその真なる言説によって、彼らは復讐ないし処罰の危険に晒されるでしょう」(48頁)。「気高い理由によって万人に逆らう人間は、死の危険に身を晒すということです」(同頁)。
(20)戸井昌造『戦争案内』、平凡社ライブラリー、1999・9、258頁。
(21)(9)、155頁。じっさい1975年5月19日の東アジア反日武装戦線メンバー一斉逮捕の際に”大地の牙”の斉藤和が服毒自殺し、のちに狼のメンバーではないが荒井なほ子と藤沢義美が自殺している。斉藤たちに並ぶ特異な自殺者としては第一に船本洲治の名を記しておかなければならない。
(22)スピノザ『エチカ 下』、畠中尚志訳、岩波書店、1951・10、29頁。