孫悟空にはなれない

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さて、家庭を持ってみて 2019

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 このブログを運営する私たちは、子どもができたので結婚することにした。子どもが産まれ育つ過程で法律婚していたほうが面倒が少なくなると思ったから役所に紙を3枚出しにいった。社会保障等を得るためにしたことだから「おめでとう」と言われても困ってしまうけれど、結婚したひとに向かっては世の中そう言うことになっているからそれも仕方ないだろう。日本人の輪郭をかたちづくっている戸籍制度内の手続きである結婚はしんどいが「おめでとう」と言われたらその善意を疑うことなく笑顔で「ありがとう」と応えるようにしてきた。
 また、結婚への反応と同じように、子どもができ、家庭を持ってみて、子どもを人類の未来を担うものとして政治的に特権視する「生殖未来主義」は天皇制と同じくらい支持されていそうだなとも思った(『現代思想』反出生主義特集(2019-11)の古怒田望人「トランスジェンダーの未来=ユートピア」や『思想』1141号のエーデルマン「未来は子ども騙し」、小泉義之「類としての人間の生殖」も参照するといいかもしれない)。特権的にイメージされる「子ども」を未来のためと称して搾取しない家庭や世界とはいかなるものなのか、答えはすぐでないとしてもしっぽくらいはつかめるよう育児をしなくちゃいけない、とも。

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 註釈を抜きに「家庭を持つ」などと書いたが、念頭にあったのは津村喬が1977年に発表した「さて、家庭を持ってみて……「ニューファミリー」幻想と消費の社会」(『 新日本文学』32(9)1977-9)という文章だ(近くの図書館に『新日本文学』の所蔵がなくてもその図書館が国会図書館デジダルコンテンツライブラリーというデータベースを契約していれば閲覧できるので興味があれば読んでほしい)。結婚して「家庭を持った」津村がおもに料理について書いた短いエッセイだが、そのなかに子どもを育て、料理をしていくにあたりキッチンに置いておきたい言葉がいくつかあったのでページ数を付して下に抜粋してみる。

・本来料理とか育児とかいうものは人生の大事であって、どうでもいいことでもなく、女たちにまかせて無関心でいていいことでもない。89頁

・人間はうまいものを食うべきだとぼくも思う。帝国主義内部の人間はもっとまずいものを食うべきだという議論には反対だ。われわれは他民族に寄生する民族にふさわしくまずくて危険な食生活を送ることにあいなっているので、インスタント食品、レトルト食品など工業食品(いわゆる工業卵、工場制畜肉、ハウス野菜もふくめ)を一切追放して、本当に豊かな農業を全人民の手で再建して、われわれのからだに合ったほんとうにうまいものを作っていくことを考えるべきなのだ。それが同時にムダをなくし、人類を構造的食糧危機から救う道でもある。
 そのためには、日本人の舌をマヒさせ、インチキ合成食品をはやらせてきた味の素文化と徹底的に闘わなければならない。90頁

・キッチンにいても、工業社会がギリギリのドタン場にきている中での人類の苦悩の全体がみえるはずだ。90頁

・好きな仕事にうちこむ、かせぐ、いいことだろう。だからといってそれが料理や育児を放棄する理由にはならない。もちろんそれは仕事をしている男にとっても同じことだ。この「戦場」への無関心は犯罪そのものだ。90頁

 津村は「創造的な、人間の本源にかかわる、自然とふれあえる行為」としての料理に育児とならんで言及しながら、そうした営為が「人類の苦悩の全体」を感じとらせるものとしてあると述べている。日々おいしいものをつくって食べているぼくは、国内外のキツい労働を経てスーパーにならぶ食材を買い、手を汚さずに動物を殺している(動物については生田武志『いのちへの礼儀』が勉強になった)。「日本人の舌をマヒさせ、インチキ合成食品をはやらせてきた味の素文化と徹底的に闘わなければならない」という箇所などは四谷三丁目の名店、一条流がんこラーメン総本家家元の一条安雪も言いそうだが、重要なのは、キッチンにいるだけで、あるいは近くのイトヨに行くだけで人類だけでなく人類外も含めたモノたちの苦悩が見えてくる、ということだ。
 ここで津村が料理と育児を並べているのはふたつが不可分だからだろう。妊娠中から胎児のために葉酸や鉄分を摂るようにしたり、産まれたあとには、母乳やミルクを与えるが、これらすべては料理そのものだ。体に合うものを作り、食べ、食べさせることの総体が料理なのだから。
 まだ育児ははじまっていないので実地にはわからないが、育児にも世界の苦悩の痕跡が垣間見えるのだろう。森永ヒ素ミルク中毒などは文明が育児にもたらしたことの最たる例としてよく覚えておきたい。

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 そうした「人類の苦悩」をともに考えるために、友人と料理を作るのもいいだろう。ほんとうはガス、水道などのインフラ=国家に頼らずに食べものを生産するところから食の自主管理をしなくちゃいけないのだけど、友人とともに料理を作ることもまたこの世界を生きるなかでたいせつなことを教えてくれる。
 津村喬は『ひとり暮らし料理の技術』(野草社、1980-7)という料理本でホームパーティーとそのレシピのために一章を割いている(9章「まつりとしての食事」)。先に引いたエッセイのなかで「人間はうまいものを食うべきだとぼくも思う」と書いていた津村は『ひとり暮らし』で、味の素が代表する工業的うま味が人々の味覚を破壊してしまうことを嘆いた後「うまいものを食う、とは、こうした倒錯と虚偽の世界をつきやぶって、まともに自然との対話を回復させようという、ごく控え目な要求にすぎない」(19頁)と記している。そしてこの「自然との対話を回復させ」るために津村はホームパーティーを提案するのだ。
 じぶんたちで材料を揃えて料理をつくると、外で売られている食事の多くがいかに不自然な味で塗りかためられているかよくわかる。そうした不自然な味が食べたくなって食べてしまうきもちもよく分かり、じっさい食べてしまうのだが、じぶんたちで料理をすることではじめてこの世界を批判的に味わう舌を育てることができるだろう。ひとりではわからないことが、ともに作り食べるとわかるときもある。なにより、料理をつくってみんなで食べることには固有のたのしさがあるのだ。
 ホームパーティーをするときのポイントは津村によれば以下の4つにある(271頁)。

(1)あまり金をかけない。金をかけすぎると次が続かない。
(2)人数を増やしすぎない。
(3)ホストが鍋前になりついて、話の相手もできないというふうなタイプの料理はなるべく避ける。
(4)なるべくみんなに参加してもらえるものがよい。

 ホームパーティーと言ってもホストが客をもてなすというような一般的なものとは全く別ものであることがわかるだろう。ふつうのホームパーティーでは金をかけた豪勢な食事をホストが用意して客がそれを食べるという主客の関係が固定されているものだが、津村のすすめるのはそうした集まりではない。「私作る人、ボク食べる人」がいまでも固定されている家は多いとおもうけど、ここでは作る人と食べる人が一致しているのだ。ぼくは、ほんの数回しか参加していないのでここで例に引くのも気が引けるのだけど、東京山谷での共同炊事が、炊き出しのイメージにありがちな野宿者たちが列をつくり食べものを受けとるという形式ではなく、野宿者たちとともに料理をつくりいっせいに食べる形式をとっていることに重なる理念がある。共同炊事とホームパーティーとはその生存との緊張度からして異なるのは間違いないのだが。
 さて、2月にやるホームパーティーの例として津村があげているラーメンのレシピを以下に記してみる。すこしながいけどよい文章なので読んでほしい。

 ラーメン、ギョーザに季節はないが、寒い時期にはこってりした中華風もいいだろう。そんなものでパーティなぞわびしいというかもしれないが、工夫しだいでいろいろにできる。
 豚の骨と鶏のガラでこってりしたスープをとっておく。三枚肉のブロックを加えて出しにするとなおよい。煮た豚は脂を水で流すようにして薄くスライスして豆板醤でそのまま食べてもいいし、スライスしたものを醤油とゴマ油で焼くと即席の焼豚になってラーメンの具にぴったりだし、一センチ半くらいの厚さの切り身にして、醤油、酒、砂糖、五香粉(または茴香八角)で豆腐くらいの固さまで煮込むと東坡肉になる。
 さて骨と脂身でスープをとる。ショウガとニンニクをみじんにし、ねぎも細かいミジンにし、中華ナベにゴマ油を熱して炒め、蝦米、豆鼓、蠔油、五香もここで加えてよく炒める。これをスープに合わせ、塩、醤油、コショウで味を整えて、スープはできあがり。
 具は簡単でいい。さっきの焼豚があれば、細切りにして一皿。炒めるときに腐乳(醤豆腐)をつぶしてまぜてもよい。コリアンダー(いんさい)を洗ってちぎり、山盛りにして一皿。
 めんはどこかの料理屋の手打ちのものか、はらしまの生ラーメンでも買ってきて、一玉を三つにほぐしておく。
 スープをストーブにかけ、ガスにはぐらぐら湯をわかし、めんをゆでていく。小さなお椀にめんをとり、具をのせ、好きなだけスープをかけてたべる。
 芝麻醤、豆板醤などを用意して好みで味を加えてもいいだろう。(273、4頁)

 この後には「これをやりだすとすぐ腹がいっぱいになるから、この前に酒をやりながらギョーザでも食おう」とギョーザのレシピが続くのだが、どうだろうか。ぼくにとっては読むだけでお腹がぐうと鳴ってしまう文章だった。がまんできず、11月のよく晴れた日に津村の政治的な著作と料理に関心があるだろう友人を誘ってわが家でホームパーティーをやることになった。
 ゲンコツ、背ガラという部位の豚骨と鶏ガラは肉のハナマサで買い(ぼくは肉はとても好きというわけではないがガラを揃えるためハナマサによく世話になっている。ガラは安い。鶏ガラなんて2キロで350円くらいだったとおもう)、シャーミという干しエビは新大久保の華僑服務社で見つけ、豆板醤などは家にあったもののほか調味料はスーパーで購入した。友人のひとりにはチャーシュー用に豚バラブロックを持参してもらい、もうひとりにはいっしょに下井草のサッポロめんフーズという製麺所に行き、とんこつラーメン用のめんを気の済むまでカゴに入れた。その際、参加者の負担が一定になるように、主旨を説明していくらかお金を出してもらった。
 家に帰ってきて、まずはギョーザを作った。材料も安くそろえて、野菜のみじん切りなど分担した。ギョーザはいい。包むのは技術があまり要らないからふだん料理しない人も料理に参加できる。子どもがある程度大きくなったらいっしょにギョーザを包んで料理の糸口にしたいくらいだ。
 豚と鶏をアク抜きして圧力鍋でほろほろにしたあと、強火でどんどん炊く。スープが濁りこってりしてくる。鶏と豚骨のにおいがキッチンに立ちこめる。
 そうしていると豚バラブロックをたのんでいた友人が遅れて到着したので、再びギョーザを食べた。ただ焼いたり、水溶き片栗粉で羽根つけたり、いろいろにしてハイボールで流し込んだ。熱いギョーザの油をウイスキーの香りをまとった冷えた炭酸がさらっていくこの組み合わせはほとんどサウナと水風呂の快楽に等しかった。
 友人にみじん切りにしてもらった長ネギ、ニンニク、ショウガをゴマ油でじゅうと炒め、お湯で戻した干しエビを戻し汁ごと加えて、豆板醤と五香粉をたっぷりふりかけた(豆鼓醤は用意していたのに入れ忘れた)。豚骨と鶏ガラのスープを漉したものと合わせ塩、コショウ、醤油で味を整えてスープ完成。エビの香りとうまみをまったりとした粘度の動物系スープが邪魔することなく包み、香味野菜と五香粉由来の八角が全体をひきしめている絶後のスープだった。
 買ってきためんをせっせと茹でては食べ、食べては茹でを繰り返し、四人で15玉くらい食べた。ギョーザ食べたあとなのに。
 ぼくはパクチーが苦手なので津村のレシピのようにコリアンダー山盛り一皿など用意しなかったが、かなりの完成度の津村ラーメンができた。友人たちにも好評だったが、それがお世辞ではないことがよくわかる味だった。
 この津村ラーメンで感心したのは、このレシピが上であげたホームパーティーのポイントをおさえているということだ。「スープをストーブにかけ、ガスにはぐらぐら湯をわかし、めんをゆでていく。小さなお椀にめんをとり、具をのせ、好きなだけスープをかけてたべる」というのは作る人と食べる人を分離させない知恵だった。今回は参加者の一人が妊婦だったので、ギョーザ包む作業など負担がかからない範囲で手伝ってもらったが、たいへん楽しそうでよかった。「能力に応じて働き、必要に応じて受けとる」ホームパーティー?だったように思う。
 ただ楽しいホームパーティーしているだけでは、よくてガス抜きにしかならない。しかし「人類の苦悩」を感知し、別様な生を生きたいと願うものたちが集団性をかたちづくるときに料理をつくり、ともに食べる営みは不可欠だ。
 害悪に満ちているかに思われるこの世界に新たに産み落とされる存在を育てながら、わたしたちは料理の実践をつづけてみよう。