孫悟空にはなれない

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鶏そばなんきちの店主を悼む

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 鶏そばなんきち早稲田店の店主が亡くなった。私がこの文章を書いている5日前、2019年2月22日のことだった。

 世の中に早すぎる死と遅すぎる死があるのなら、高井一さんの死は明確に前者の死だった。王将の社長が本社前の駐車場で射殺されてもさして悲しくはないが、高井さんの死はあまりにも悲しい。社長が高齢で高井さんが若齢だからではない。高井さんのらーめんはもう食べられない。

 なんきちは高田馬場-早稲田のらーめん店がひしめくエリアのちょうど中間あたりに店を構え、そこそこ繁盛していたように思う。いつ行っても清潔で、界隈ではあたま一つ抜けて美味だったにもかかわらずすぐ座れた店内、過不足ない接客やいずれも高レベルな鶏と煮干しのらーめんを気に入り、このブログを運営する私たちは足繁く通っていた。子ども用の椅子が備え付けてあったのもいま思えば店主の人柄の表われだったのかもしれない。

 私は友人たちに高田馬場-早稲田のらーめんについて聞かれた時にはかならずこう答えていた。「早稲田通りのらーめん店は一番飯店にはじまり、五芳斉におわるよ」と。なんきちは早稲田通りのらーめん水脈のちょうど中央に、まるで旅人の乾きを癒やす泉のように存在していた。「早稲田通りのらーめん店は一番飯店にはじまり、(なんきちを経由して)五芳斉におわるよ」というのが上の発言には隠されていた、といまなら言える。

 セメント系の濃厚煮干ラーメンはレアチャーシューのピンク、水菜のグリーン、メンマのブラウンが美しかった。味のレベルが言うまでもなく高かったことは私の舌がいつだって証言するだろう。

 近頃らーめんを自作するようになってよくわかったのだが、煮干を上手に扱うのはむずかしい。一定のおいしさのスープをとることはかんたんだが、苦みとうまみのバランスをとるのが厄介なのだ。なんきちの濃厚煮干らーめんは、苦みとうまみに加え煮干のあまみと香り高い油が調和しながら静かにたゆたっていた。「スープを口にした瞬間に煮干がかつて海でそうしていたように脳内を泳ぎ回る」、と評しても言い過ぎではないことはなんきちに親しんだ人にはわかってもらえるはずだ。

 高井さんがアルバイトの方に「はやく味玉のつくりかた覚えてもらわなきゃこまるよ」と嫌味なく、彼に期待していることが十分に伝わってくる優しい口ぶりで話しかけていたのを私たちはよく覚えている。高井さんは私たちの顔など覚えていないかもしれないけれど、私たちは高井さんのらーめんを心身で記憶している。なんきちのらーめんが食べられなくなってほんとうに悲しい。こんな凡庸な文章をこのブログで発表してもなんにもならないことはよく理解できるのだが、その死に際してなにごとかを書かずにはいられない人柄とらーめんだった。

 冥福など信じない。最近ダイエット対決をはじめてしまったばかりにらーめんを控え、なんきちから足が遠のいていたほんとうに愚かな私たちより、心からの哀悼の挨拶を。